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再びのインドー4ホームステイ

3月30日
お父さんがお出かけになった後、妹さんがトーストとミルクティーと果物の朝食を4階まで運んできてくれた。申し訳ない。トーストがとてもおいしかったので聞いてみると「ギー」を塗ってあるという。「ギー」は子供の頃よんだ「ちびくろサンボ」にでてきた虎が溶けてできたバターの名前で美味しそうな響きだったことを思い出した。お母さんにお願いしてギーの瓶詰を見せていただいた、オリーブオイルのような黄色っぽい透明な液体で香りはバター。買って帰りたいと思ったが、買い忘れた。帰国してから日本でインドの食材を売っているサイトを見つけたので今度トライしてみようと思う。

アシッシュさんの家から空港が見えるというので、屋上に上った。管制塔が見える。屋上の上にある階段に上ると、飛行場の建物まで見えた。小さい飛行機が離着陸を繰り返すのも見える。曇っていたし、屋上は涼しい風が吹いていて気持ちがいい。アシッシュさんが椅子を運んで来てくれた。途中でお母さんも加わって屋上でおしゃべりした。
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お昼ごはんを作るところを見せていただいた。お母さんと妹さんが作ってくれた。妹さんの英語の解説付きなのでわかりやすかった。チーズのカレー、ジャガイモの炒め物、コーンフレークのようなものそしてチャパティーだ。香辛料がいっぱいあったが、一つの品には2.3種類を入れるだけだ。カレーができて私たちが席に着いてから、お母さんがこねてあった種であっという間にチャパティーをたくさん焼いたのにびっくりした。速い!02.jpg
レストランで何回か食べたカレーと違って、やさしい味がした。家族で毎日食べるものはこうなんだ。アシッシュさんはお母さんのカレーは世界一と少し照れたように言っていたが、本当にそうなんだと思う。

お返しに、日本から持ってきたお菓子と抹茶を差し上げた。お菓子はよかったが、抹茶はお母さんと妹さんには駄目だった。やはり、コンデンスミルクかクリームを持ってくるべきだったと、反省。日本に来ていろいろな味に馴染んだ学生と同じに考えてはいけなかった。
そのあと、サプライズということでサリーの着方を教えていただいた。額に張るシールも付けてくれたので少しインド人のようになれたかな。


夫はその間に近所を一回り一人で散歩してきた。道が込み入っていてわかりにくく、迷子になると困るので持っていくようにとアシッシュさんが名刺を渡してくれた。安全第一ね。なかなか帰ってこなかったのでちょっと心配したが住宅街にある牛小屋を見つけたとか、散策を楽しんだようだ。
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3時少し前にアシッシュさんの友達が車で来てくれて、私たちをREDFOXホテルまで送ってくれた。
ホテルでゆっくりし、夕食はホテルの食堂で食べた。そのあと、BARに移動してビールを飲んだ。
夫は何はともあれビールがあればこんな顔。
ここはwifiが使いやすいので私は日本へメールしたりFacebookに写真を載せたりした。
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再びのインドー3エローラ石窟

6月29日
朝、ホテルの窓から庭を掃除している人たちがいた。サリー姿が美しかった。
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今日は9:00に出発。午後はデリーに戻るので荷物も昨日のタクシーに積んでもらって出かけた。
エローラに向かう途中にDULATABADという山城のそばを通った。赤い塔が目立つ。中には格別なものはないということで、写真に収めるだけ。
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エローラ石窟はアジャンター石窟よりずっと近く2時間弱で到着した。駐車場を下りるとすぐに遺跡だ。
エローラ石窟はAD6世紀ごろから9世紀ごろにかけて仏教の石窟、ヒンズー教の石窟、そしてジャイナ教の石窟の順に作られたといわれている。アシッシュさんは「一番遠いジャイナ教の石窟(時代的には新しい)に先に車で行きましょう」と言ってその近くまで車で行ってもらったので体力的にはずいぶん楽だったと思う。下の地図を見るとよくわかる。
また、この日は、少し薄曇りでそんなに暑いとも思わない。「この天気はとてもラッキーですよ、普通エローラの観光は暑くて大変なんです」とアシッシュさん。私たち天気についている?
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車を降りると見学路の道路に遺跡番号が書いてあるのでわかりやすい。
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見学路には入っていないがまず、ここから見ましょうとアシッシュさんが案内してくれたのが
第30窟、岩山を掘り出して作っていった過程がよく見える作りかけの石窟だ。今、削っている最中というような石窟の内部の柱にはもうこんなに繊細な石の彫刻が刻まれている。この透かし彫りのあるクッション型の飾りがある柱はこの後の建物にも多く見られた。
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第32窟、石を彫り出して作った窟というより、もうこれは石彫りの寺院だ。9世紀のもの。石の門をくぐると庭の中に拝殿がある。拝殿を守る象。これも歓迎のポーズだという。
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続いて石窟内に入る。
ジャイナ教の開祖はマハーヴィーラ。ジャイナ教の修行僧は体に何もつけない。だから、衣服を着ていない像はジャイナ教のものだそうだ。
ジャイナ教の大事な神様はその他に富の神クーベラ、豊穣の女神やヤクシー、この3体が大体セットになって飾られているそうだ。
真ん中が裸体のマハーヴィーラ。左が豊穣の神ヤクシー、右が富の神ヤクシャまたはクーベラ?どちらも日本では夜叉として伝わっている。(クーベラは布袋様のよう太鼓腹だが、調べてみると日本の七福神では毘沙門天に当たるということだった。ヤクシーは鬼子母神。)
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32窟33窟と同じような内部だし、中でつながっているので下の聖堂はどちらのかわからなくなったが、奥には預言者が祭られている。下は33窟の外観。柱の形が特徴的だ。
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車で駐車場まで戻ってこんどは仏教エリアへ、第1窟から15窟までを番号と逆に進む。
第15窟は2階建てだ。内部は現代の鉄筋の建物のようだ。縦横の線がよく揃っていて、設計力技術力の高さにびっくりする。どんな工具を使ったのか。
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ここはヴィハーラ窟が多く中はがらんとしていて、奥の方に釈迦、周りには菩薩像が彫られている。
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第12窟は3階建て、石の階段は一段一段が高いのでゆっくり上がる。
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四角い柱が並ぶ内部はとても広い。部屋の中央の広い四角いスペースは昔水を入れて鏡にし、東の窓から入る朝日を反射させて内部の装飾を美しく見えるようにしたという。下を見るとこんな感じ。
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右端に見えるのが第1窟あそこまで歩く。
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第10窟はチャイティア窟、アジャンター石窟でも見たように木造建築を模して造られいる。
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内部はアーチ型の梁のある高い空間、釈迦の坐像が中央にある。写真を撮りますから座ってくださいとアシッシュさん、一瞬恐れ多い?と思ったが疲れていたし、失礼させてもらった。
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アシッシュさんはここで、「ブッダン シャラナム ガッチャーミー(仏に帰依します)」という基本のお経の文句唱え、「此処はよく響くでしょう」という。なるほと、声もいいし、なかなかいい感じ。夫もカンボジャで習ってきたこのお経を合唱して、これもなかなかいい感じ。


最後の第1窟が見えてきた。
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第5窟チャイティア窟。エローラで一番内部が広い。奥は仏堂。石のテーブルのようなもので、僧侶たちが食事をしたらしい。夫は僧になったつもりで座ってみた。
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第2窟の仏堂には釈迦像が。ここは、皆さんが、拝んでいるところなので、私もルピーのお賽銭をあげて、平安をお祈りした。
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ヒンズーのエリアは16窟のカイラーサ寺院だけを見た。一つだけで十分見応えと迫力がある石彫り寺院だった。
下の写真の門を入るとカイラス山を象徴する高さ33メートルもある石彫り寺院が現れる。
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これを岩山から掘り出したなんで信じられない。100年かけて作られたというがよく破綻せずにここまでの形を作り上げたものだ。インド人の数学能力の高さと根気に脱帽。「この寺は馬が引く馬車の形をしています」とアシッシュさん、日本人が考える馬車とはイメージが異なるので、後で調べたらスーリアという太陽神の馬車をかたどったというスーリア寺院の形に似ていた。スーリアをシバの8形態の一つとみる考え方もあるそうだ。シバの神の象徴リンガこのお寺の一番高い部屋に祭られている。
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また、記念写真のお誘いがあってインド人の家族とパチリ。後ろにあるのは象が川から水をくみ上げてラクシュミーにかけている浮彫。ラクシュミ―は日本に来て吉祥天になった。
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世界を支える象の彫刻が本殿と前殿の周囲に並んでいるが、鼻が折れているものが多く惜しまれる。前殿の南側の壁にはマハーバーラタの物語が彫られている。(反対側はラーマーヤナ)
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最上階のシバ神のお堂を見てから門の上に上って寺院全体を見ることができた。美しい!そしてすごい迫力。裏山に上って全体を見る道もあるそうだが、時間がなくて行けなかった。
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16:25の飛行機でデリーに帰らなければならないので、ホテルカイラスというレストランで食事をしてからすぐ、車に乗ってアウランガバドの空港へ向かった。国内便でも2時間前に空港に着かなければならない。
2日間お世話になった運転手さんと空港でお別れした。車に乗る時も降りる時もドアーを開けてくれて親切だし、安全運転だったし、いい運転手さんだった。ありがとうございました。

デリーに着いたのは7時を過ぎていた。今夜は中華レストランで食事だという。少しカレーに飽きていた夫は中国料理でほっとしたようでビールを何倍もお替りしていた。いや、お替りはいつもの事だった。店員さんはみんな顔が中国系なので夫がつい中国語で話しかけると「I’m Indian!!!」と強く言われてしまった。

今晩はアシッシュさんのお宅にホームステイだ。お家は空港の近くの住宅街。道幅がだんだん狭くなった。タクシーが入らないということで少し手前で降りた。我々のスーツケースはアシッシュさんが運んでくれた。
きれいな玄関の扉の前にかわいい子犬が2匹寝ていた。飼い犬だそうで夜は玄関の前で寝るという。インドの犬は私たちの子供の頃のように自由に動き回れていい。犬の表情も穏やか。
お宅にお邪魔すると、お父さん、お母さん、妹さんが温かく迎えてくれた。居間の椅子に座ると、温かいミルクティーにビスケット、焼き菓子、ナッツのようなものを出してくれた。どれもおいしかった。アシッシュさんの通訳でしばらくお話をしてから、泊まる部屋に案内された。アシッシュさんの家は4階建て、私たちが止まるのはその最上階の客間だ。
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エアコンや扇風機をつけてくれたが、付けなくてもじゅうぶん涼しかったので止めて寝た。寝心地のいいベッドで朝までぐっすりと眠った。

再びのインドー2 アジャンター石窟

3月28日
今日は8時30分出発。車の中でアシッシュさんはオーランガバドの地名の由来を話してくれた。ダージマハールを作ったシャージャハーンをアグラ城に幽閉したアウランジーブ帝がこの地を支配した時、アウランジーブの町という意意味で付けた名前だそうだ。前の旅行とつながった感じで懐かしい。
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車を一日借り切ってアジャンター石窟を見学する。
アジャンター石窟まで3時間余りの道のりなので、途中でちょっと休憩。
アシッシュさんが注文してくれた水牛のミルクは熱々で砂糖であまい味がついていておいしかった。青い実は熟していないマンゴーの実。
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アシッシュさんと安全運転の運転手さん。二人ともとても親切で優秀で安心旅行だ。
後ろにある白い車が私たちの車。
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道路を歩く羊の群れ。こちらでは、牛じゃなくて羊をよく見かける。
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やっとアジャンダーに到着。花盛りだ。車を駐車場に止めて、お土産物街を抜けて行くとバス乗り場がある。
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バスに乗って5分くらいで遺跡の入り口に着いた。
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ガジュマルの大木、4種類の木が一本の木になっている。それから少し階段を上ると遺跡が見えてくる。ゆっくりゆっくり。
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アジャンダー石窟の全貌が見えてきて感激。大きく湾曲しているワゴラ川の渓谷の崖に沿って掘られている。
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すぐに地元のガイドさんが来て、彼の説明をアシッシュさんが通訳してくれる。本人も石窟について一通りの知識があるが、精確に案内するために地元のガイドさんを頼んでくれたのだ。特に壁画についての説明が詳しく暗い石窟の天井や壁をライトで照らして見せてくれた。壁画を守るためにフラッシュは厳しく禁止されているので写真にはちゃんと写っていなかったのは残念。

第1窟はAD500年ごろの石窟で、中には仏陀の前世の話の壁画がぎっしり、王がお城を出ていく場面から始まる。懐中電灯の光に浮かび上がる壁画は繊細で美しい。一番奥には転法輪印の仏陀の坐像、像の足元には2頭のシカ。ここはヴィハーラ窟といって僧院なので僧侶が住む部屋も掘られている。そこは3畳くらい?とても狭い。
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そしてハイライトは蓮華を持つ菩薩像。これが見たかったの。教科書に載っていたあの絵は思ったより大きかったし、いきなり第一番目に見られたので大満足だった。薄暗い光の中でも美しかった。
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天井画も美しい。ユーモラスな動物 怪物?植物など。
第2窟(AD600年)もヴィハーラ窟。作りは第1窟と同じように奥には仏陀の像、窟内は壁も天井も壁画でぎっしりだが、とにかく真っ暗なので、案内の方の懐中電灯だけが頼りだ。手持ちの100円ライトをつけてみたが、光が頼りない。写真はあきらめてみることに専念したが、説明を聞きながらずっと上を見ていて首が痛くなった。
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しばらく同じ作りのヴィハーラ窟が続くが洞窟と洞窟をつなぐ通路は階段の上り下りがあって結構きつい。
第9窟(BC100年)10窟(BC200年)はチャイティヤ窟。チャイティヤ窟は初期のもので、仏陀を象徴する法輪や仏足石、ストーパなどが祭ってある洞窟。入り口は馬蹄型のアーチがすごく綺麗だが大きすぎで通路から写真に撮れなかった。あとで、絵ハガキか写真集を買おう。

第10窟、最大の洞窟で、イギリスの軍人が虎狩りをしていて見つけたといわれている。確かに隣の9窟の2倍近い高さがあるので木が茂っていても建造物らしく見えたのだろう。床の石のくぼみは壁画のための絵具を入れるところだそうだ。こういうものも面白い。
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第12窟はヴィハーラ窟。小さな部屋にベッドが向かい合わせに彫ってある。アシッシュさんが「寝てもいいですよ」というので、夫はお坊さんの気持ちになって?しばし休憩。
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ちょうど中間地点まで来た。左が来た道、右がこれから行く道。
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第16窟(AD5世紀)の入口に像の彫刻がある。前足を折っているのは歓迎のポーズだそうだ。
階段を上ると広間の奥に仏陀、壁や天井に壁画。しかし、だんだん見るのに疲れてきた。ここでかわいいお嬢さんたちのグループに一緒に写真を撮りましょうとのお誘いがあった。インドの人には「平たい顔族」が珍しいらしい。この後も、何度も写真のお誘いがあった。私たちもいい記念になった。
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第19窟(AD600年)チャイティア窟は彫刻が素晴らしい。入り口から菩薩や仏陀、天女や力士の彫刻がぎっしり。ガイドさんははっきり力士と発音して私たちを見てにっこりした。内部の彫刻も素晴らしい。天井には本当の木造建築のようにアーチ型の梁が彫刻されている。洞窟の内部とはとても思えない。象徴的な意味を持つストーパの彫刻も初期のものと比べると複雑になっていて、前面に仏陀の彫刻がなされているのは大乗の考え方が入っているからだ。
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現地ガイドさんの説明はここまで。三分の二は制覇したが、夫はかなり疲れたようで、「ここで待っている、元気が出たらゆっくり行くから先に行って」という。しかし、アシッシュさんは「ゆっくり休みながら行けば大丈夫、一緒に行きましょう」という。かなり休んでから、再び歩き出したが、夫は少し目が回っていたそうだ。

ヴィハーラ窟が続くので彫刻を流し見しながらゆっくり歩いた。新しい時代のもので未完成のものも多い。
第24窟は内部が大雑把に彫られていてどうやって作ったかがわかる。わかるが、設計力、技術力、チームワークのすごさは想像を超える。
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とうとう最終第26窟(AD650年)にたどり着いた。リスも出迎えてくれた。
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内部は第19窟と似ているが、アーチや柱の上の彫刻はより精巧。左側の柱の後ろにある大きな涅槃仏をはじめとして、石窟の内部にはは仏像がぎっしり彫ってある。
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帰りは途中から橋を渡って近道をした。レストランにたどり着いて美味しいカレーの昼ご飯を食べた。
下の図は電子看板を映したものだが、左下の赤いバスがバス停。赤い線が歩いた道だ。
個人旅行でゆっくり行けたから走破できたね。アシッシュさんありがとう。
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また、オーランガバドまで3時間以上の車の旅、運転手さんお疲れ様でした。
夜はホテルのレストランで、昨日の夕食の挽回とばかり、アシッシュさんはビールや鶏肉カレーなどを注文してくれたので助かった。

再びインド1-ムンバイ

3月26日
今回は完全な個人旅行。前回(http://plaza.rakuten.co.jp/uchiferret/diary/201307060000/)お世話になったアシッシュさんとメールのやり取りをしながら、アジャンター石窟とエローラ石窟に焦点を絞って計画した。アシッシュさんのお宅のご好意でホームステイもさせていただけるということも楽しみの一つだ。

成田空港を17:15発のANAで出発。
飛行機は順調に飛んで30分早めにデリー上空へ、真夜中だが街の明かりが広い範囲に見えた。お迎えが来ているかちょっと心配したが、アシッシュさんはちゃんと来ていてくれた。
空港近くのREDFOXホテルに宿泊。夜中の1時近くなのにホテルの入口には門番がいて、運転手に証明書を見せたりタクシーの荷物入れを開けたり、厳重なチェックがあった。この後もホテルに入るときは、同様なチェックあって面倒だがある意味安心だった。REDFOXは小ざっぱりした、感じのいいホテル。翌日は4:30に迎えに来るとのことで早く寝た。


3月27日
4時のモーニングコールの前に目覚めた。お茶を飲んで荷物の準備。4:30にロビーに行くとアシッシュさんはもう来ていた。サンドイッチをもらって空港へタクシーで向かった。
国内便だけれどチェックは厳しい。ボディチェックもある。女性はカーテンの中でチェック。「ジャパニ?」とニコニコ顔で聞かれた。
6:30デリー発のINDIGOエアー、ムンバイまで2時間余りの旅だ。

ムンバイ到着。空港で観光タクシーに荷物を積みこんで観光が始まった。
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有料道路に入ってマヒム湾にかかる長い橋パンドラ・ワーリー・シー・リンクを渡った。吊り橋のワイヤーが美しい。
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まず見学したのはDHOBI GHAT。DHOBIは洗濯人、GHATは水辺に降りる道という意味。植民地時代にイギリス人の洗濯物を洗うために作られた施設だが今はムンバイ中の洗濯物が集まってくるそうだ。ものすごい量の洗濯物、一日中手作業で洗い続ける、容易な仕事ではない。あの中から持ち主にちゃんと正しく戻るのか心配になるが、印がついていて、きちんとアイロンされて戻るそうだ。
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洗濯場のそばがマハラクシュミー駅。電車のドアーを開けたまま走っているのにびっくりするが、バスもそういうのが多かった。
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車で移動中にインド第一(世界5位?)のお金持ちの家があった。27階建てのタワーで6階建ての駐車場やでヘリポートや劇場まで付いているそうだ。洗濯場を見た後だとなだかなーと思ってしまう。
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その気分を直してくれたのはガンジー記念館MANIBHAWAN。
住宅地の中で見過ごしそうな記念館だ。ガンジーの独立運動のシンボルになった糸巻車がデザインされた看板の前で一通りの説明を聞いて内部はゆっくり自由に見て回った。
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一階は図書館になっている。壁にはガンジーの言葉がいくつも掛かっていた。
Democracy must in essence … mean the art and science of mobilizing the entire physical, economic and spiritual resources of all the various sections of the people in the service of the common good of all. この言葉は。ちょっと難しい。
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3階にはガンジーが実際に生活した部屋がある。質素なベッド、糸巻車など。床の模様が美しい。
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3階の残りの部分はガンジーの生涯のジオラマ。子供の頃ガンジーの伝記を読んで尊敬したことを思い出した。実際のインドを見ると彼の運動は想像以上に大変なことだったと思う。
ガンジーは*神は信仰など持っていない。*「目には目を」という考え方では、世界中の目をつぶしてしまうことになる。*握り拳と握手はできない。など今必要な言葉もたくさん語っている。

次はインド門。デリーのインド門とは違ってイギリス王と王妃が1911年にムンバイを訪れたことを記念して造られた。以後船でインドに入る際の儀式的入口となった。アシッシュさんが英語でいうと区分けがつくよと教えてくれた。ムンバイのはGATEWAY OF INDIA デリーのはINDIA GATE。
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インド門の傍のタージマハールホテル。1903年にインド人建築家によって建てられた。西洋とインドの様式を混合しているという。2008年のムンバイ同時多発テロ立てこもり事件があったホテル。右側がその新館。
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少し遅いお昼をSAMURATというベジタリアンのレストランで。デザート以外はお替り自由。カレーが何種類もあって楽しい。チャパティもおいしい。インドに来たなーと思う。
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これはイギリスの建築家が19世紀の終わりに建てた中央駅。チャトラパティ・シヴァージターミナス駅 元はヴィクトリア ターミナス駅と呼ばれていた。
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東京駅ができたのと同じ頃だけど、大きさが全然違う。

また、パンドラ・ワーリー・シー・リンクを渡って空港へ。
オーランガバド行きの飛行機はプロペラ機。
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オーランガバドに着陸した時はドーンという衝撃が!飛行機が痛むのではないかと心配したがアシッシュさんはいつもの事ですと笑っている。キャーと声を上げるお客さんもいるそうだ。
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ホテルに入る前に南インド料理の店で食事をした。中にジャガイモが入ったドーサ。
この店もベジタリアンでビールが注文できなかったので夫がふくれてしまった。アウランガバドではいいレストランはベジタリアンの店がほとんどらしいので、翌日はホテルで食べることにし、今日は食後にビールを仕入れてホテルで飲むということで夫も納得した。
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翌日はお酒を売らない日だというので、夫は酒屋にタクシーを停めてもらって缶ビールを4本買い込んでホテルに持ち込んだ。のん兵衛はややこしい。
ホテルはRAMA INTERNATIONAL きれいなホテルだがWIFI設備は不便だった。
Log off しなかった?とかで、メールチェック、Facebookと「着いたよ送信」だけで30分の接続を3回したことになってしまってチェックアウトの時に1500ルピーほど取られた。高っ。

ペルー旅行の思い出ー5

11月24日
クスコ空港はアレサンドロ・ベラスコ・アステラ国際空港という名前だそうだ。
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みんなガイドさんと別れを惜しんで一緒に写真を撮った。パネルを示しながら本当に熱心にいろい教えてくれた。
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アンデス山脈ともお別れ。
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リマに着いたのは昼過ぎだったので、さっそくレストランで食事をした。
食前酒はビスコサワー。(ビスコ酒にレモンと卵白を混ぜたもの?)美味しかったけど、結構アルコール度が高かったらしく、顔が真っ赤になり添乗員さんに大丈夫ですかと心配された。もちろん、大丈夫!
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まずはアルマス広場へ。大統領府とカテドラルに挟まれている。カテドラルにはピサロが安置されているそうだ。何とも複雑な感じがする。
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カテドラルの隣は大司教館で今は博物館。一番美しい出窓を持っているといわれている。
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中をちょっと覗いた。美しい天井。壁のタイル。扉もすごい。
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街中には治安維持の警察官があちこちにいる。ガイドさんの話では、観光客と一緒に写真を撮ってくれるということなので、ちょっと緊張したが、一緒に撮ってもらった。皆さんにこやかだった。
サンフランシスコ教会を見てからバスに乗ってラルコ博物館へ。
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ここはラファエル・ラルコ・エレーラと言われ個人のコレクションの博物館だそうだが、色とりどりの花に囲まれた真っ白な漆喰の建物が印象的なすごい博物館だった。ここがエントランス。
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陶器の壺がたくさん集められている。動物をかたどったものがとてもかわいい。
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土器の作り方も展示されていた。
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金銀の素晴らしいアクセサリーもたくさんあった。
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手術をした頭蓋骨まで展示されている。右側は手術してからしばらく生存していたことを示す穴の周りに骨が形成しかかっている。写真では見たことがあるが、これは実物だ。
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伝統的織物と日本の絞りにも似た布。
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博物館の中庭も美しい。また、庭には不思議な形のサボテンがたくさんあった。
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猫。サボテンに止まって休む鳥。
隣接のカフェで休みながら、もう少しゆっくり見学したかった。
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夕食はラルコ・マルという巨大ショッピングモール内で。クリスマス飾りも華やかだった。自由時間が結構あったがとくに買いたいものもなく、お腹もすいていなかったので中華の店でスープを買って飲んだ。
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今回はとことんユナイテッド航空にやられた。
空港につくと帰りの便はキャンセルになっていて、デルタに振替されていた。まったく!
みんなの中でユナイテッド航空の評価が下がり、デルタ航空の評価がぐんと上がった。
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さようならペルー。
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ヒューストンで乗り換え。

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帰りは順調にいった。ツアーの人たちにも添乗員さんにも恵まれた楽しい旅だった。



ペルー旅行の思い出ー4

11月23日
マチュピチュともお別れ。今日は雨が降っていた。一日違いで全然別の観光になっただろう。駅までは民芸品市場の中を通っていたので、雨にもほとんど濡れなかった。ついた時には暗くて見えなかったが、駅にはすすきのような草が植えてあった。
5時35分の展望列車に乗ってウルバンバへ向かう。
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オリャンタイタンポで列車を降りて遺跡見学。やはり、段々畑に囲まれた大きな遺跡だ。急な階段を上って上の方にある遺跡を見に行った。
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スペインと戦った砦だったそうだが、しっかりとした石組の建造物が見られる。
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山のさらに上の方まで石組が続いている。これらの石はここからはるか向こうに見える山のさらに向こう側から運んできたというが、気が遠くなるような話だ。マチュピチュにはすぐそばに石切り場があったけれど。
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向かい側の山にはペルーの初代の王様の顔が浮かんでいて町を守っているのだそうだ。(クリックで画像が拡大)
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遺跡の全景、人物が小さく見える。
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遺跡の道端にはうちのポーチュラカリアやエアプランツによく似た植物が生えていた。立派なサボテンも花をつけていた。
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下の方は住居。屋根は草で拭いてあるので残っていないが、それらしく復元してある部分もある。
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泉が三か所あった。水はとてもきれいだった。
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昼食はオウムが出迎えてくれるレストランだ。中庭では生演奏をしている。
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まずは「エコケ人形の絵付け体験」みんな結構真剣に取り組んだ。
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出来上がった人形には食べ物やカメラや車やハート型や極めつけは札束などをぎっしりしょわせる。幸運のお守りだそうだ。
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それから美味しい昼食。デザートの飲み物にはコカ茶を頼んだ。
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牛が道を自由に歩いている!!!。インドみたい。
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アルパカ製品の直売所に寄った。羊毛を紡ぐ実演。染色の実演を見せてくれた。
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これらが染料の原料。始めは淡い自然食が塩を混ぜると鮮やかな色に変わるのが面白かった。
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クエという名の家畜。この名は鳴き声から来ているという。覚えやすい。アルパカなどより安い食用と聞くとかわいそうと思ってしまうがこれも文化。でも、ここのは観光用だと思う。
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帰りには、皆さんで歌を歌って送ってくれた。
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次に行ったのはインカの農業試験場とされているモライ遺跡。インカ得意の階段状の石積みが同心円状になっったものだ。段ごとに異なった気候レベルになるので様々な植物を育てる実験ができたという。下に降りる時間はなかったが段差は1.5メートルくらいだそうだから全体の高度差は30mそこそこ。気候レベルを変えるほどなのか疑問と言えば疑問だが、きれいな同心円の階段を形作る石組は素晴らしい。少し大きめの石を差し込んでかわいい階段をつけてあるのもすごい。
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夕方クスコに到着。クスコの山の上には貧困層の住居があるという。ブラジルで聞いたのと同じだ。夜になって明かりがともると何とも華やかな夜景になる。
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12画の石のライトアップ。
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夕食までに時間があったので、30分自由行動後アルマス広場で集合した。
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フォルクローレを聞きながらの夕食。出演者はみんな若者だった。コンドルは飛んでいくの演奏はやはりうれしい。
お寿司がきれいに並ベラれていた。
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明日はリマへ。



ペルー旅行の思い出-3

11月22日
天気が良さそう。
朝ごはんの前に近くを散歩。昨日は暗くてよく分からなかったが、、私たちのホテルはこんなにかわいかったんだ。


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日本の温泉街のように見えるウルバンバ川沿いのホテル。


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これは国内持ち出し禁止のコカの葉。朝食のビュッフェの器に山盛りになっていた。コップに入れて湯を注いで飲むことができる。薄いお茶の味がする。Sさんがこれを持っていってマチュピチュでお供えするんだよと教えてくれたので2枚持っていくことにした。
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バス停にはたくさんの人が並んでいたがバスもどんどんくるのですぐに乗れた。しばらくしてつづら折りfの道に入る。30~40分で遺跡のゲートについた。これが切符。食事のためにゲートから出たら、これを見せない限り二度と遺跡には入れないから無くさないようにと厳しくと注意されて渡された。


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ゲートを通りぬけたところ。下にバス停が見える。


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少し歩くとワイナピチュを背景にした遺跡の全景が見えてくる。天気は最高、期待感が高まる。


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とうとう、この景色の中に立てたんだ。みんな交代で写真をとった。iPadでとってもらったこの写真は、留守番をしてくれている夫に今晩送ろう。


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青空をバックに農地管理人の小屋が見える。


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あそこまで上ると更に絶景が待っているとガイドさん。
ここは、高度が1800メートルくらいなので息もあがらず、どんどん上る。傍らのだんだん畑にはリャマの牧場があり、そちらにも目が離せない。
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頂上でツアーの人たちと記念写真を撮った。


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小屋から下の遺跡まで段々畑が続いている。


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遺跡の左側に見える段々畑とウルバンバ川に下る絶壁がすごい。


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段々畑のわきの道を下り、遺跡の門が近づいてきた。
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「門には木の扉がついていて出入りをチェックしたといわれている」とガイドさんが自作のパネルを使って説明してくれた。とても、熱心なガイドさんでラッキーだったと思う。


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見上げると先ほどの小屋がずっと上の方に見えた。よく歩いてきたなあ。
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こちらは遺跡の東側で、丸いのは太陽の神殿。そういえばクスコの太陽の祭壇も円形をしていたっけ。


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有名な「三つの窓の神殿」 ここの窓に山頂からの朝の太陽が差し込みその位置で夏至を知らせるという。


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インティワタナ太陽時計は遺跡の西側の高台にある。このユニークな形はやはり太陽の影を映して太陽の位置を測るものだという。ここからは下ってワイナピチュの入口に向かう。
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ワイナピチュ入口近くの聖なる岩。雲に隠れているのではっきりしないが、背景の山と同じ形をしているという。
こういう見立ては我々日本人には親しみ深い。
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ワイナピチュは1か月くらい前に申し込まなければ登れない。また、ここのゲートで入山記録を書いて登る。
ツアーでは頼もしそうなSさんだけが挑戦した。後で話に聞くと結構きつく、山頂近くでは嫌になったそうだ。私たちは登らなくて正解?
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次に、遺跡の東側の道沿いの遺跡を見学する。天体鏡の間。丸い部分に水を張り、窓から差し込む日光を映して春分秋分冬至などを知るという。遺跡のあちこちでいろいろな形で太陽の計測が行われていたわけだ。日時計の目盛のような細かい季節の移り変わりの目盛などもあって良さそうだが・・・。聞くのを忘れてしまった。

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これは円形の太陽の神殿の地下部分。3段の階段のシンボルから大地の女神パチャママの神殿で捧げものなどの儀式が行われていたという。
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水汲み場からは今も水がでていた。上水も下水もきちんと行き渡り、遺跡からもれだしたり、遺跡を壊したりしないようにしっかり設計されて作られていることは本当に驚くべきことだ。
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ここから、添乗員のさかいさんの提案で遺跡の下の道にある岩の祭祀場ワカに行った。何人かの人がコカの葉っぱをお供えに持ってきていて何か祈願してお供えした。私も、朝手に入れた葉っぱを供えた。
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これも有名なコンドルの神殿。地上の石をコンドルの顔と首の輪に見立て、広げた羽のような岩を組み合わせてある。実物はもう少し顔の様子がはっきり見える。羽の下のくぼみは祭事の場所だったそうだ。
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少し雲行きが怪しくなってきた。雲が上がってくる。ちょうど昼時なので入口近くのレストランに入った。
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ビュッフェスタイルのレストランだったが、何ともかわいい野菜でできた鳥が飾ってあったので思わずシャッターをおした。
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食べている間ににわか雨が降り雷もなった。やはり山の天気だ。


インティプンク太陽の門へのトレッキングに出かけるころには雨は小降りになった雨具はいらないくらいだ。
山道を登りはじめるとリャマに迎えられた。悠々と道を歩いて道の草を食べている。
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途中に石で造られた祭場があってそこで小休止。道は階段でなくだらだら上る感じ、具合よい石畳道で、とても上りやすい。これがインカ道なんだ。
そして、雨雲の切れ目から太陽光線が差し込み、虹が見えた。しかも二重の虹が・・・。
本当に来てよかった。お天気にも恵まれた。
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太陽の門から望むマチュピチュ遺跡。霧に邪魔されないではっきり見えた。
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太陽の門からは石畳のインカ道が、マチュピチュ村まで続くトレッキングロードになっている。歩いて見たかった。
でも、3日かかるらしい。
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頂上からはまた別の方角に虹が見えた。
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大満足で山を下りてきた。また、リャマさんに会えた。
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もう一度管理小屋まで上って、絶景に別れを告げた。霧がまた上がってきた。遺跡に影が差してきた。
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最終バスに乗ってマチュピチュ村まで帰った。この日はお腹がいっぱいなので、お菓子のようなものと飲み物を買って食べた。今日はよく歩いた。でも大丈夫明日の出発はゆっくりだからしっかり休める。

ペルー旅行の思い出-2

11月21日
4時ごろモーニングコールの前に起きた。皆さん元気いっぱいででロビーに集合。空港は近い。
空港で飛行機待ちの間に添乗員さんお勧めのインカコーラを買った。
オロナミンCというか、かき氷のレモン味?といった感じの炭酸水。でも、ペルーにいる間はくせになりそうな味。
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クスコまでの飛行機。ワクワク感が高まる。
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一時間くらいでクスコ上空へ。
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空港では金の仮面が迎えてくれた。
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いよいよ観光!にあたってガイドさんが高山病への注意を喚起した。早い動きをするな、走るなと・・。ここは3500mくらい、富士山より低いから大丈夫とは思っていたが、皆に遅れて走らないように気をつけよう。

まず、バスでコリカンチャ(太陽の神殿)へ
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ここは、インカ帝国時代の宮殿があったところ。金の壁、金の砂、金の像などにあふれていたが、スペインが占領した時にすべて壊され略奪されたという。宮殿の土台の上に今は教会が建てられている。どちらも、石の建築だが、この教会は一度大地震で壊れて立て直されたものだそうだ。インカの石組はどんな地震にもびくともしなかったと、ガイドさんは誇らしげに語っていました。

入口への道々咲いていたこの花はペルーの国花でカントォータという。あちこちに見られるかわいい花。
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教会の中に太陽の神殿の石組が残されていた。確かに精巧な石組だ。「ここの石組はマチュピチュの石組より優れています。マチュピチュのすばらしさは自然が大きな比重をしめています」というガイドさんの言葉がこのときは、本当には理解できていなかったが、確かにすばらしく精巧に磨かれ組み合わされていると思う。剃刀の刃も通さないという表現もうなずける。ただ平らなだけでなくオスとメスの組み合わせ構造になっていて地震にもつよい。日本の精巧な木組みを連想した。

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太陽・月・雷(?)の三つの神殿の同じ位置に同じ大きさの穴が開いている。これも、石組技術の高さを示している。
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中庭を挟んで反対側は教会。教会の回廊には宗教画がかかれている。
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教会の建物の外側に見えた丸い形の石垣は太陽を祭った場所だったが今は石組しか残されていない。
そのそばから町を展望できる。レンガ色のきれいな街並み。

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出口の近くに黄金の飾りのレプリカがあった。インカの世界観宗教観を表したものだそうで、天界地上界地下界更に陰と陽が対照的に描かれているそうだ。太陽や月や男女、種や木それに南十字星が見える。
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またバスに乗って行く。サクサイワマン要塞を右に見ながら、山道に入り右へ左へと曲がりながら高度を上げていく。途中4000メートルの地点を通る。下の地図の右下のクスコからオリャンタイタンポまでバスで行き、そこからは、電車に乗りかえて、マチュピチュ村まで行く長い道中だ。

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お昼ごはんにはなんとおにぎり弁当がでた。日本人のやっている店のものだそうで、海苔お握りのなかには梅干しも入り、からあげ、大きな美味しいミカンのほかに白菜の本格的漬物までついていて、本当に美味しかった。

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最高地点を過ぎたあたりでアワナ・カンチャ生活博物館ーというよりアルパカ牧場といったところに到着した。
まず目に付くのはこの看板。
アルパカたちはラクダの仲間であると納得した。一番小さいピクーニャは毛の質も一番柔らかく高級なのだそうだ。アルパカは毛をとる目的で飼われ、リャマは荷役のために使われる。

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餌の草をすごい力で引っ張って食べるので、餌をやるのも噛まれそうで、おっとりしたイメージとは大違いだった。 アルパカの毛は彼女たちに紡がれてセーターなどに加工されて販売所で売られている。
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ペルーのジャガイモの種類は2000種以上あるという。ここにも、たくさんの種類が並べられていた。
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オリャンタイタンポで電車に電車に乗りかえ、ウルバンバ川沿いに走ってマチュピチュ村へる。このころにはツアーの人たちと和気藹々になってきて、列車の中は大盛り上がり。
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コカの入った飴やチョコはぺルーをでたら御用になるということでみんなで分け合って食べた。
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夕暮れ時にマチュピチュ村についた。ホテルは駅のすぐ近くだった。まあ、町全体がそんなに大きくないが。 チェックインの後で、添乗員さんが手作りの地図をくれた。夕食は自由だったので、その地図を頼りにアルパカ肉を出すというレストランに行った。羊肉のような感じで食べやすい肉だった。少し、お土産物屋をのぞいてホテルに帰った。
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ペルー旅行の思い出-1

2014年11月19日(水)から11月26日まで
南米なので自力旅行は無理と思って、HISの「感動体験ペルー8日間」に決めた。今回は娘となのでOさんoさんの旅行。

11月19日
ユナイテッド航空は17:00に成田を飛び立つ予定だったが、整備中で遅延の文字がなかなか消えない。ヒューストンの乗換に2時間しか余裕がないのでちょっと心配。しかし、同じ航空会社の乗り継ぎだし、何とかなると思っていた。
結局1時間遅れて出発しヒューストンにも一時間遅れて到着。乗り継ぎなのに入国審査が結構厳しくて、それでも、同じ航空会社だからきっと待っていてくれると私たちは頑張って走った。
しかし、数分違いでペルー行は飛び立ってしまった。次の日の同時刻の航空券とホテルの宿泊券を残して。ひどーい!「ユナイテッドのバカ」との添乗員のさかいさん、まったくその通り。でも、落ち着いて事実関係を淡々とでもシッカリと説明してくれたのでそれはよかったし、、ツアーの人たちも冷静な反応だった。結局、市内見学の時間もないのでそのままホテルまで移動した。
丸一日抜けるということはナスカの地上絵が見られなくなったということ? ゆっくり休めて、体調万全でマチュピチュへ行ける事は確かだけど。


11月20日
集合はロビーに10時半なので朝はゆっくり。近くを散歩と思ったが見事に何もない。空き地に巨大なホース巻きがあったので、アメリカだなーと写真撮影。


この日は無事に飛行機が飛んで日付も変わるころ、リマについた。次の日は5時起きでクスコに向かうのですぐに寝た。

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