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インドの結婚式3 [旅行]

11月28日
暗いうちに目が覚めたが、隣のお姉さんがよく眠っているので、しばらくじっとしていた。少し明るくなってきて階下で子供たちが騒ぐ声がしたので、トイレに起きると同室の二人も目を覚ました。お姉さんが下の台所に降りていって朝食をもってきてくれた。紅茶とバタートーストとリンゴと甘いお菓子を皿にのせたものが一人分。他の人はあとで食べるから、食べろというので少しいただいた。
そのうちに下から子供たちが部屋に入ってきた。外国人と何か話をしたいらしい。学校事自分の住んでいるところの話などをしてくれた。子供の英語は聞き取りやすかった。iPadに日本語学校の卒業式で学生たちが踊ったインドのダンスの動画があったので、見せると上手だと喜んで観てくれた。そのうちに自分たちで踊りだした。携帯の音楽を鳴らして踊ってくれた。学校などで習ったのでなく、ビデオなどを見て自習したのだそうだ。音楽も踊りもインド的であるが古典でなく現代の若者のダンスという感じがした。iPadで写しては楽しそうに見ていた。このダンスは日本に帰ったらDVDに焼いて送ることになった。
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10時ごろアシッシュさんとお嫁さんがパーティ会場から車で戻ってきた。家の入口に絨毯をしいて、入り口には親戚の年配の女性たちが歌を歌いながら待つ。カーストの歌だとか言っていた。花嫁が戸口に入る前に花嫁の頭にお祝いの花びらや何かを撒いていた。

二人の手足にはぎっしりとヘナの模様が。きれいだから写真にとってくださいと言われた。
花嫁花婿は初めに神棚に向かってお祈りをする。花婿の手形が壁につけてあり、それに花嫁がふれるという儀式もあった。この家の人になりますという感じ。
そのあと、占いかゲームのようなものが始まった。お寺で腕に巻き付けてもらった糸をお互いに右手だけで解く。本当は右手だけしか使ってはいけないものらしいが、うまくいかないのでお母さんが両手をつかいなさいとアドバイスして無事に終了した。でも、この儀式は何ともかわいらしかった。
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次に花びらや草のようなものを浮かべた洗面器に年配の女性が指輪を投入れる。新郎新婦が同時に手をたらいに入れて指輪を拾い上げる。うまく拾った方が家庭内で主導権をとるとか。アシッシュさんが2回お嫁さんが1回拾ったが、実はどちらが強くなるのかな。
これで、お嫁さんを向かい入れる儀式は終わった。アシシュさんのお兄さんに私はホテルに送ってもらった。昼食はホテルで食べるように言われた。明日の夕方のパーティまで自由時間だ。一人で街歩きをしても安全かときくと大丈夫だということだった。
ホテルでシャワーを浴びようとしたら、部屋がまだ掃除中だった。また、昨日のボーイさんだった。昨日泊まって止まっていないのできれいなはずだが、彼はマニュアル通りにきちんと掃除していた。本当は早くシャワーを使いたかったんだけど終わるのを待っていた。
紅茶とトイレットペーパーがなくなったと告げると紅茶は4パックペーパーロールは二つ持って来てくれた。気になったのは紅茶のティーパックがむき出しであること、初めは洗って使ってみたが、だんだん面倒になってそのままお湯を入れた。
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シャワーの後、昼食もあまり食べたくないので、街歩きに出かけることにした。窓から街を見るとおいしそうな果物の屋台が見える。買い物をしたいが、夜遅く空港についたため、ルピーに変えるチャンスがなかった。物は試しとフロントで両替を頼むと、従業員さんの財布をかき集めて100ドル分両替してくれた。更に、果物を買いたいのだというと、100ルピー札に一部交換してくれた。親切だ。

早速果物屋に直行、ザクロ5個とバナナで150ルピーだった。ザクロはそれで売り切れだった。それから、町を歩いた。やはり、観光地と違って誰も寄ってこないので歩きやすい。ただ街並みが似ていてとくに目立つ建物もなかったので迷わないように、ホテルを中心に数ブロック行っては戻るという歩き方をした。
染物屋の前では道端に釜を出して染物をしていた。染料を入れたり定着剤を入れたりしているのだろうが、入れるたびに色が変わり、ピンクと緑のグラデュエーションの染め物が同じ釜でできるのが興味深かった。じっと見ていても売りつけられるということもなかった。立ち去るとき染物のおじさんにありがとうと頭を下げたら、おじさんもにっこり笑って挨拶を返してくれた。のどかな街だが、お土産になるようなものは売っていなかった。
夕食はホテルの食堂でカレーを食べ、デザートは部屋でザクロを二つ食べた。

テレビもコマーシャルとドラマしかないので、買ってきたインド歩きの本を精読して、明日の行動に備えた。お得意のグーグルマップでホテルの位置を検索した。

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ホテル名ではうまくヒットせず、住所を入れてそれらしき場所が見つかった。少し離れたところに地下鉄らしい駅が見つかったので、本と照らし合わせるとDwarkaSector9という駅らしい。次に、ホテルからその駅までの道筋を確認し、今日の歩いた距離と照らし合わせて、おおよその時間を計算した。20分くらい歩けば地下鉄の駅につくし、道は広い道の両側には大学のような建物や緑地歩くのに安全だと思った。
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それから、デリー市内のマーケットプレイスで地下鉄駅に近いものを探した。どれも、イエローラインの沿線にある。DwarkaSector9からのると、二駅目のDwarkaSector21でオレンジラインに乗り換え、ニューデリーでイエローラインに乗り換える、楽勝だと思った。その中で遺跡が見られるロディーガーデンに決めて、集中的に調べた。駅から市場へは5分ほどオートリキシャに乗るのでおよその金額を調べて頭に入れた。明日はお昼を外で食べてみようと思った。

インドの結婚式2 [旅行]

11月27日
朝は5時ごろ目が覚めた。真っ暗だったが現地時間に合わせようと起きてしまった。もう一度シャワーを確認したら、お風呂場の天井近くにボイラーがあった。あちこちボタンを押してみると、オレンジ色のランプがついた。しばらくしてからお湯を出すとお湯が出た。しかし、ここはインドだ。不思議なことにバスタブと洗面台でお湯を出すために回す方向が違っていた。また、日本の2倍ぐらいのバスタブにお湯をはるのは時間がかかるのでシャワーだけにした。
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朝食は8:00からだというので、行ってみたらまだ用意ができていなかったらしく、ルームサービスにしてくださいと言われたので、茹で野菜サンドと紅茶とゆで卵を注文した。

朝食後ホテルの周りを歩いてみた。普通の商店街だが、朝早くて人通りが少ないためか、町の人の視線を感じたので早々に戻ってきてしまった。テレビもコマーシャルとドラマしかないので、空港で買った本を読み始めた。デリーなら一人で歩けるのではないかという気がしてきた。
Wifiがつなげるかどうかフロントに聞きに云ったらパスワードを教えてくれた。さすがインドのビジネスホテルだ。もどってくると、部屋が掃除中だった。入っていいというので、掃除を見学した。ボーイさんはエアコンの送風をガンガン回しながら不思議な箒で掃いている。窓が開かないのでしょうがないといっていた。それから、大きな布を巻きつけたモップをもってきて床をふき、机の上などは塵払いのようなもので掃ってくれた。ベッドにクッションを配置するのに一寸工夫していてこのほうが見てきれいでしょう?という。掃除道具はちょっとという感じだが、工夫してきれいにしてくれている。お決まりのどこから来たのかという会話から始まり、ボーイさんは手を動かしながらいろいろ英語で話しかけて来た。彼はいろいろな仕事ができるように、英語を自分で勉強しているという。そういえばフロントの仕事もしていた。彼は置いておいた枕銭をとらずにわきへよけてあったので、ありがとうと言って渡した。

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昼食もホテルで、今度は食堂に入ることができた。ドーサとヨーグルトと紅茶。
アシッシュさんから電話があった。3時ごろ友達が迎えに行く。今日の予定はヒンズー寺院に行ったあと、お嫁さんの家の近くのパーティ会場で一晩中パーティがあるそうだ。式が終わったらホテルに帰るかと聞かれたが、一応皆さんと一緒に参加すると答えた。着物は無理なので一応パーティ用の服に着替えた。
3時ごろ、また、アシッシュさんから電話がかかってきた。友達の都合が悪いので自分が迎えに行くといいうことだった。パスポートはスーツケースに入れて鍵をかけておくようにといわれた。人が多いところに行くので、持ち歩く方が危ないという。セキュリティボックスもないので、スーツケースに入れて2重に鍵をかけた。そして、お土産を大きな袋に入れて持っていく用意をした。
やがて、アシッシュさんが到着したが、そこでとんでもない提案があった。実はバイクで来ているので後ろに乗ってくださいというのだ。バイクになんて乗ったことはないし、ヘルメットもなしであのインドの街の雑踏を走るなんてと躊躇したが仕方がない。幸い黒のスパッツをはいていたので、ロングスカートをたくし上げて後ろ座席にまたがりお土産の袋を前に抱え込んだ。「ゆっくり行くから大丈夫です。心配しないでください」というが、初めは気が気ではなかった。確かに安全運転で、曲がるときにも車体を倒さないので、すぐに景色を眺めるゆとりが出てきて結構面白かった。まもなくアシッシュさんのうちに到着した。

家には親戚の人たちがたくさん集まっていた。お母さんと妹さんは美容院に行っていていなかったが、前にドバイに住んでいて英語が上手なお姉さんが迎えてくれた。サイズが合えばこの服を着てみてくださいとすごくきらびやかなバンジャビスーツを出してきた、お母さんがこの日のためにオーダーしてくれたのだそうだ。好意はとてもありがたいのだが、ど派手な色とデザインに気後れした。でも、此処はインド、郷に入りては、郷に従えで、結果的には黒いドレスよりインドの皆さんは喜んでくれたのだと思う。やがて美容院から帰ってきたお母さんと、妹さんの着ているものを見てそう思った。
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家の玄関の一角におまじないをしてその上で新郎は結婚式の衣装に着替える。手足にターメリックを塗って、ヘナで模様を描く。着替えを手伝うのは新郎の義兄、最後に新郎はたくさんのお札(さつ)でできたネッックレスを首にかける。着替えが終わると親戚の女性たちが新郎の頭の上にスカーフを広げ花弁やお札や何かの縁起物を歌いながら投げ入れていた。赤い糸をスカーフの四隅に絡めて回していく。糸が縁を表し重要なものらしい。何か日本人としてわかる。
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そのあと、新郎は白馬にまたがって、親戚の人たちと一緒に寺院まで行く。行列の先頭は10名くらいの楽団で、家族や親戚の人たちは楽団の音楽に合わせて踊りながら、15分くらい歩いて行く。市場をぬけてヒンズー寺院に到着した。冬は結婚シーズンということで、何度もこのような行列が通るのだろう、町の皆さんは特に驚いていなかった。
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お寺では全部の神様の祭壇にお参りをして回った。シバやハヌマーンの像はお馴染だったが、太陽系のすべての惑星の石板を並べた祭壇は珍しいと思ったが、ヒンズー教では一般的なものだそうだ。この周りをまわってお祈りをするのだ。本堂の入り口にある狛犬のようなライオンがかわいかった。
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この後家族と親戚の人たちはバス2台に分乗して、デリーの北方のお嫁さんの実家に向かった。私は親族じゃないけれど、言葉がわからないということを考慮してくれて、アシッシュさん一家と同じワゴン車に同乗せてくれた。渋滞したハイウェイを3時間以上かけて走ったが、アシッシュさんは観光バスのようにいろいろ解説してくれたので飽きなかった。暗い夜空に花火やサーチライトがあちこちで見える。今は結婚式シーズンだそうで、そこでは結婚式が行われているそうだ。ハイウェイの両側にもあでやかな光に包まれた建物がたくさん見えたが、すべて結婚式場だそうだ。うーん、インドの人口はやはりどんどん増えるのだろう。
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やっとお嫁さんの実家の近くのパーティ会場についた。電飾の付いた馬車と、別の楽隊が待っていた。これらを用意するのにもすごくお金がかかるのだそうだ。また、楽隊とダンスを先頭に親族が踊りながら会場に向かった。
開場の入り口には花嫁の親族が出迎えていたが、ここでもダンス、ダンス、インドの女性(男性も?)のたしなみには上手に踊れることも大事らしい。その様子をドローンが飛び回って上から撮影しているのにはびっくりした。
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会場の真ん中には美しく飾られた舞台があって両側に階段がついている。また、たくさんのブッフェ形式の食べ物や飲み物が用意されていた。アシッシュさんのお姉さんがずっとそばにいてくれて食べ物や飲み物を勧めてくれた。どんな食べ物かよくわからないし、昼食のドーサが胃にもたれていて、あまり食べることはできなかったがチーズの串焼きが美味しかった。アイスクリームも食べたがお腹は大丈夫だった。

いよいよ、新郎新婦が登場してきた。まず、にぎやかな音楽の中、新郎が一つの階段から舞台に上がる。新婦の親戚の男たちがショールのトンネルを作り、その下を新婦が歩いて舞台に近づいていく。

新郎が舞台の反対側の階段を半分降りてきて手を差し伸べる。二人で手をつないで舞台に上がり、向かい合い見つめあうと会場の人々の拍手が巻き起こる。舞台はゆっくりと回り会場の人たち全員が仲のいい二人をよく見ることができるが、本人たちは大変だろうなと思う。
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なんだか人前結婚式みたいだが、昨日はお寺で宗教儀式があったそうなので、今日は両方の親戚の人たちへの紹介の意味合いが強いのだろう。さっきのドローンがここでも活躍していて会場の様子をくまなく撮影していた。

しばらくすると会場の一角の撮影スペースに二人は移動して、親戚や招待客たちとの撮影会が始まった。インドの人たちは写真好き、席に座っていても色々な人が一緒に写真を撮りましょうとなどと話しかけて来る。英語なんだけど申し訳ないんだけど聞き取りにくい。インドなまりと日本語なまりでお互い様だが。アシッシュさんのお姉さんが英語で通訳してくれた。そのうちに私も呼ばれて撮影舞台に上がって新郎新婦と一緒の写真をとった。

若い人たちはこの後一晩中この会場でダンスをしたりするらしいのだが、子供たちや年配の人は家に引き上げる。私もアシシュさんのお姉さんたちと一緒に帰ることになった。12時も回っていたので渋滞もなく2時ごろには家に到着した。
一人でホテルに帰るのは危ないということで、みんなと一緒に止まることになった。お姉さんと、寝る場所がないと入ってきた親類の男の子が一人、同じ部屋で寝た。家には親戚たちが20人以上泊まっていたのではないだろうか.

寝る前にお姉さんは私の掌にヘナで模様を描いてくれるという。お洒落とおまじないの意味を込めて花嫁花婿はもちろん、皆さん掌に緻密な模様を描いているのだ。入れ墨みたいなので、躊躇したが一週間くらいで撮れるというので左の掌だけということで描いてもらった。彼女はとても上手で何も見ずに15分くらいで描き上げた。これは、後でインドの方たちからきれいだと何度も言われた。
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トイレを交代で使ってからベッドに入った。インドの一般的なトイレは、様式で水洗なのだが日本人には使いにくい。今回は携帯用のウォシュレットを持っていたのがとても役に立った。

インドの結婚式1 [旅行]

インドのアシッシュさんの結婚式に出るために、成田空港からANAに乗った。夫に送ってもらったしスカイライナーに乗ったため空港で時間がたっぷりあったので、本屋をのぞくと地球の歩き方の女子旅応援版 「aruco インド」を買った。これがのちの大きな力を発揮する。
17時15分NH827 ほぼ時刻通りに出発した。
機内食を食べてからずっと映画を見ていた。3本見たらさすがに疲れて少し眠った。定刻より少し早くインデラガンジー空港に到着した。手続きが終わったのは1:00過ぎ。
前の時と同じ到着ロビーに迎えの人が来ているというので、キョロキョロしていると、すぐに「長田さんですね」と小柄な若者が声をかけてきた。大丈夫とは思ったが、私の名前が書いてあるかどうか紙を見せてというと見せながらアシッシュさんに電話してくれた。電話口のアシッシュさんは「予定していた人の都合が悪かったので別の友達に頼みました」というので一安心。お迎えの人は「髪形で直ぐ長田さんとわかりました」という。いったいどういう風に説明したのかな。
彼はジョシさんという人で「女子です」とおどけていた。ガイドさんなので日本語も上手。自分はバラモン階級で最高位ですという話をするのはさすがにお国柄、最高位だから自分のカーストを初めに云うのかな。市内観光で地下鉄に乗ろうと思っているといったら、日本人だから自分が一緒に行った方が安全、土日なら仕事がないので対応できるといって名刺をくれた。
ホテルはあまり大きくないビジネスホテルだが、部屋は清潔でバスタブまである。英語しか通じないが複雑な話がいるわけではないから問題はない。もう2時を回っているのでとにかくシャワーを浴びて寝ようかと思ったがお湯が出ない。仕方がないので寒くもないし水シャワーを浴びて寝た。

エストニア・ラトビア  バウスカ

6月27日 6日目
今日は朝からすごくいい天気。
朝食はいつものようにしっかり食べた。このホテルは朝食にスパークリングワインがつく。もちろん、HさんとOさんは必ず持って来て飲む。いいホテルだ♡ ロビーもよく見るとクラシカルでなかなかいい感じ。このホテルについての我々の評価はうなぎのぼりだ。
洗面所の流しの栓が抜けない事件もあったけど、こちらの方はフロントで教えてくれたように、栓を下に押ししつけるだけで栓が持ち上がり、水が流れるようになった。実はすごいハイテクだったりする。
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バスは9:20発なので、切符を買ってからまた、市場をぶらぶらする。明日買うお土産の目安を付ける。瓶詰めが充実  野菜も新鮮そうで見ていても楽しい。
買いたくなるも、我慢。
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思ったより時間がかかって、イチゴを買う暇もなくバス停に向かった。
バス:3.5€

バウスカに着いた。バスもあるが、宮殿の入口がわかりやすいように、マリーナの提案でタクシーに乗った。タクシーの扱いにもすっかり慣れ、宮殿までいくらと交渉して乗った。進歩したものだ。15€

タクシーから降りて宮殿に向かう。Follow が身についてしまって、他の観光客についていって、正門を入らずに建物の左側を回って行った。
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チケット売り場は庭園の入口の左側にあった。宮殿長いルート。(このルートには公夫人の居室が含まれる。)
庭園の共通チケット(9ユーロ)をかう。写真を撮るのにもお金がいるということで、一枚だけ写真チケットを買った。庭園はこんな感じ。(説明板をパチリ)
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庭園に入ろうとすると、係の人が今日はフェスティバルがあるけれど、それを見るなら手にベルトをまいてと言われた。これが、のちのひと騒ぎになった。また、Oさんはもらった写真シールをiPadに張る前に落とし門まで引き返して拾う一幕も。
フランス式庭園の花壇には花がいっぱいだった。空も綺麗。公園を歩きながらフェスティバルの会場を確認した。
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それにしてもいい天気。地元の人と思われる家族連れもたくさん来ている。


お庭を一通り回ってから、宮殿内の見学をした。豪華な宮殿だが、ヨーロッパのそれより少し親しみやすい感じがした。

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磁器の間には日本製の壺もあった。この時代、陶器は本当に貴重だったのでしょうね。


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私たちのお気に入りは公夫人のブドゥアール(化粧室休憩室のようなもの)というか、ブドゥアールという意味を聞いて気に入った? 講師室はわれらのブドアールねとか。天井のシャンデリア周りの彫刻がどの部屋も綺麗。
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館内の喫茶室でコーヒーを飲んだ。学園祭の喫茶店みたい。手作り感いっぱいのお菓子もかわいい。
この窓がいいね。ウエイトレスさん達もかわいい。

ここで、フェスティバルでは何をするのか聞くと民族舞踊などという答えだったので館内の見学の後もう一度庭園に入ってフェスティバルを見ることにした。ここで、マリーナが手首のテープがきつくて外してしまったことが発覚。インフォメーションで聞くと、切符を買わないとダメという。物は試しと入口の係員にかけ合うとすぐに別のテープを巻いてくれた。
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本当にフェスティバルでいろいろお店が出ている。お祭りはどこも同じね。Oさんここの出店でアイスクリームをゲット。

庭園に苦労して再入園し、最前列の席を確保したが、出し物は童話のようなコントが延々と続き、周りに座っている幼児たちの笑い顔を見ている方が面白いくらいだったのであきらめて帰ることにした。

帰りに、顔出し発見。1ユーロ。何枚写真を撮ってもいいよって言ったって・・・。みんなかわいいね?!服が本当の布で立体的に作ってあるのがすごい。
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帰り道、バウスカ行きのバスに乗ってムーサ川を渡ると左の方にバウスカ城が見える。ストップボタンを押すと少し先のバス停でバスが止まった。
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バウスカ城は綺麗に再建されていたが趣があるのは廃墟の城址部分。その塔への入場料(3ユーロ)だけ買って怖い階段で塔の上まで上った。
すると絶景が。美しいコーラスがどこからか聞こえて来る。
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右奥にステージが見える。遠くから聞こえてきた美しい歌声はここからのものだったのだ。でも、もう終了したところだったのは残念。

そこから歩きでバウスカの駅まで行きバス(3.05ユーロ)に乗ってリガまで帰った。ここでウメの災難。まず指定席に座ろうとしたらその席の隣席のおばさんに「しっしっ」と追い払われ座った席には一升瓶のビールを抱えた酔っ払いが。その酔っ払いが下りると行商のおばさんが大きな荷物を抱えて乗ってきた。。。


そしてホテルへ。
雨だったがホテルは繁華街に近い。なんていいホテル。夕食を食べに街へ繰り出した。
ふらっと入ったレストランも当たり。グレイピーの煮物? 魚の酢漬け、もう一つはなんだっけ??

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6月28日 7日目
今日は最終日。
朝、食事の前にと市場に買い物に出かけたら、開いてない?日曜日でも開いていると地球の歩き方で確かめたのに!!
よく見ると魚売り場のある棟はまだ開いてないが、次の棟からはぼちぼち開け始めている。今日は7:30からだったのだ。広場のテントの店は色々なものを並べ始めていたので、見て歩いているうちに市場が開いた。
昨日来て、目を付けていたものをいろいろ買い込んだ。これがディル、0.35ユーロ。早速食べてみる。
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ホテルで朝食をとって、荷物をまとめた。
12時にタクシーを頼んであったので、午前中は最後のリガ見学を見ようと、街に繰り出した。
聖ペテロ寺院のそばまで行くと街めぐりバスが出発するところだった。帰りの時間は11時半ということだけを確かめて飛び乗った。シートがかわいい。私たちがふらっと行くとそこに何かが待っている。遊覧船も然り。バス代15ユーロ。

バスは川の対岸へと走り出した。この市内観光は訳も分からずに飛び乗ったにしては大正解でした。
船でくぐった港の傍の橋を通って市内に戻ってきてから、立派な建物群を見た。
今も、大使館として利用されたりで、活躍中。後で地球の歩き方を見てあれがユーゲントシュティールだったんだと分かった。このバスはリガの街の旧市街の外回りを走っていたんだ。
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駅から見えた科学アカデミーの下をバスで通りすぎた。壁のタイルが美しかった。
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リガの街全体を見ると大きい町だということがわかる。歩いていたのは一部だけ。
ホテルに12時前にタクシーは来ていた。ホテルで言ってくれた値段通りで空港まで行ってくれた。これが当たり前なのよね。15€


〔リガ発〕14:25
フィン航空。共同運航だから、ヘルシンキまでは、機材はフィンのものだったよ。これは予定通りなんだけど、席に着くと機長室のドアが開いている。面白いねといっていたら、なかなか出発しない。最終的には飛行機の扉が閉まらないのでこの飛行機は飛ばないので空港に戻るようにというアナウンスがあった。みなさん冷静に行動して空港に戻った。空港でどうしようと思っていたら、すぐに、解決したので飛行機に戻るようにとアナウンスがあった。1時間遅れで飛行機は出発した。
無事にヘルシンキ着(TERMINAL2)15:40のところが16:00過ぎに着いた。乗り継ぎの飛行機にはちゃんと連絡が言っているという落ち着いたアテンダントさんの話(no problem)だったが、間に合うように走った、走った。
パスポートコントロール自動なのだが顔認識なかなかしてくれず。焦る。
でも、お年寄りと子供連れが遅れて到着するまで飛行機に乗るバスは待っていてくれた。
乗れた!〔ヘルシンキ発〕17:15(TERMINAL2)、でもなかなか出発しない。走ることなかった??
空路、日本航空にて成田へ。




エストニア・ラトビア  スィグルダ

6月26日 5日目

今まで5時おきだったのに、少し慣れてきてゆっくり起き朝ごはんを3食分くらいたっぷりと食べた。
HさんとOさんはこの日もスパークリングワインをゲット。なぜこの国では朝からワイン??なぞは解けず。
バスを一本送らせて出かける。市場をちょっと覗いてイチゴをお試しで買った。酸っぱく甘く美味しかった。
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Riga バスターミナル8;15発 siguldas9;30着    2.15ユーロ
どんなバスにもwifi がついている。日本は遅れてるなぁ。

スィグルダ駅のインフォメーションでロープウェイの時間12:10を確認して、ロープウェイに向かって散策。きれいな公園、広場が続く。

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ロープウエイ駅から遠くに望むトウライダ城、今日はここまで歩くのだ。いい眺めだ。

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ロープウェイ(4ユーロ)からの眺め。ハイキングの人は下の橋を渡るのだ。ロープウエイを下りてから近くの集落を散策、何ともお洒落な家が多い。集落の反対側がトゥライダへ行く道だ。
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妖精の出そうなお花畑を抜けると、急な木の階段があった。方向の表示がないのでちょっと嫌だなと思って行先の表示を探してそのあたりをうろうろしたが結局この階段に舞い戻った。覚悟して降りはじめたらそんなに急でもなかった。行先表示がほしかったと思った。
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グートゥマニャ洞窟 
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確かにぎっしりといろんな落書きがあった。昔語りで恋人同士があいびきした場所なのでカップルの聖地らしいが、実は悲劇の伝説も。爪でちょっとひっかいてみたらやわらかい。ガイドブックによると赤砂岩だそうだ。
ここからトゥライダまでは車道を歩く。これはつまらない。しかも19度の上り坂だった。

トゥライダ到着 リガへのバスの時間をトゥライダ博物館保護区の受付で確認した。16:09 黄色い線のところからという謎の言葉が、今ひとつわからなかった。受付でパンフレットを示される 日本語、韓国語、中国語、この中から選べってことらしい。東洋人の見分けがつかないってことね。

余裕が2時間余りしかなかったので、コーヒーを飲む間も惜しく、ひたすら見学。
ロープウエイ乗り場か遠くに見えたトゥライダ城が目の前に。
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この公園では結婚式が二つもあった。伝説のバラの乙女の墓に祈るらしい。


トゥーライダ城の塔に上ったが、見渡す限り森という景色は圧巻だった。
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帰りの時間がきた。始めはバス停に並んでいたが何だか心配になり、駐車場の人に聞くとバス停じゃなくてここにバスが止まるという。
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黄色い線の謎が解けた。本当にこの上にバスが止まった。

バスをミスすることなく乗車、これが田舎のおんぼろバス、ガタゴト、ガタゴト、腰に悪い。2.4ユーロ。生活バスという感じで、あちこちで、乗り降りがあるが周りは森や草原のようなところだ。どこからやってきてどこへ消えていくのか不思議な感じ。このバスだけwifiが使えなかった。

このおんぼろバス、意外に早くRigaに到着。他のお客に習って終点の一つ手前の旧市街にあるバス停で降りた。
夕食はレストランへ、お腹がすいていたので、写真を撮るのを忘れた。バラの香りのビール。
本当におなかが空いていた。でも、料理が出てくるまでそのことに気付かなかった。本当によく歩いた。
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注文した料理は、ムール貝のワイン蒸し、豚肉の???、ギロスポテト添え?・・・・・・39.85€

美味しく食べてホテルに帰る。夜の9時過ぎなのに明るい。11時くらいまで明るい。

ブレーメンの音楽隊を見つけた。

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ここはガイドブックの記載に翻弄された。音楽隊があるのは聖ヨハネ教会とあったが、此処はどう見ても聖ペテロ教会の裏だ。???んもー! ヨハネでもペテロでもどちらでもいいよ。

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わがホテル。繁華街に近くていいホテルじゃない!始めの印象とガラリ変わった。

エストニア/ラトビア  ラトビアへ

4月25日 4日目
エストニアからラトビアへ
例の通り5時おき朝食を食べて、お弁当のサンドイッチづくり。
7時半にホテルに来てもらうように頼んであったタクシーに乗ってバス乗り場へ。

ネットで調べた時とてもよさそうな高速バスらしいので楽しみだった。
LUX EXPRESS   タリンからリガまで21€ ネットで購入しておいた。
Tallinn Coach Station 08:30 発
Platform6 Lastekodu46 Estnia
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バスの中.
飛行機の座席のようだ。インターネットができて日本語表示までできるのに感激。グーグルマップで現在地情報を見ることもできる。赤松林ばかりの景色、美しいが単調なので、このサービスはありがたい。
広いし,コーヒーマシーンもある。ただトイレは足の長い人用にできていて座ると足が届かないとAさん。後部座席がファーストクラスらしいが、普通席で十分だ。
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国境 といってもユーロ圏だから、何もない・・けど国境を実感、そういえば乗るときパスポートが必要だった。
バスの中のコーヒーを飲んでアパートメントでの手作りサンドイッチを食べる。美味しかった。タリンのスーパーのレタスが新鮮。まだぱりぱりしていた。ヘルシンキ空港の高いサンドイッチよりおいしかった(^_^;)

Riga Coach Station12:55着だったが、市内に入る前に渋滞があり、30分位遅れて1時半過ぎに到着した。
バス停からホテルまで近いけれど、荷物もあるのでタクシーに乗った。薄汚い感じ、ドアの取っ手も壊れているので???だったが無事ホテルについた。Old Riga Palace Hotel という名前、ホテルのHPの写真が落ち着いた感じだったので大きなホテルとイメージていたが、思ったより小さいホテルでこれもまた???の感じ。
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ホテルへ荷物を置いてから散策。
初めに明日明後日のバスを確かめにバス停へ行ったが、どうも雰囲気が怪しい。人々の様子が、お洒落だったタリンの町の人たちと大違いだった。私たちはリュックを前に持ち直して歩いた。どうも、このバスステーションと市場の周りがリガ市内の他の場所と感じが違うようだ。
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国立オペラハウスからビルセータス運河沿いの公園へ。どこに行っても花がきれい。市場にもお花セクションが充実。この国の人はお花好きだ。
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公園のはずれに稜堡の丘があり、その隣が蔦に覆われた火薬塔で、その中は軍事博物館 1.6€。中を一通り見たが説明が読みづらく、ざっと見て出てきた。右側の自由記念碑は3つの星を掲げている。ラトビアの3つの地方の象徴だということ最終日の観光バスツアーの説明でわかった。
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リーブ広場、このあたりから、とんでもなく美しい街だと思うようになってきた。ここもお花がきれい。
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ブラックヘッドの会館。すごく美しい建物だ。この時は大統領官邸とは認識していなかったが、後で判明。官邸にしては警備が手薄で、しかもやる気なさそうにかべにもたれて立っているだけ。

会館の前に立っているのがローラント像、ハンザ都市ではローラント像の両膝に設けた突起の間隔(長さ64センチ)を「エレ」という単位にしていたそうである。都市の自由と独立の象徴とされ街の真ん中に建てられることが多かったという。
ローラントはイスラム教徒サラセン人のイベリア半島進行にこうして戦った騎士。(旅名人ブックスより引用)

この写真の真ん中に写っているのがリンゴ酒?を飲みながら大騒ぎしていて何かの宣伝をしている足こぎ自転車。これは自転車というべきものかどうかはわからないが。楽しそうだった。

ハンザ都市が華やかだったころの名残がここかしこに見られる。

ブラックヘッドの会館から、ダウガヴァ川に向かって歩くと小雨が降りだした。「船に乗れば屋根がある遊覧船に乗ろう」と即決。乗り場に向かうと掲示板に15:00の船がありそうなので走りだすと、船はもう動き出していたようだ。船の船長さんが乗るかどうか聞くので「乗る~」というと、船から梯子を道におろして乗せてくれた。
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私たちは正式の乗り方だと思って乗ったが、後で船着き場があることがわかり、実は(よく使う)非常用の梯子たったのだ。乗れて本当にラッキーだった  遊覧船(15€)
プラスお茶代?€。お茶は頼まなくてもよかったらしい。他の乗客は頼んでなかったし。でも、まあまあの味の日本茶をたっぷり、よかったと思う。
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ダウガヴァ川  旧市街の対岸には超モダンなデザインのビルが並んでいた。
しかし、少し上流に行くともう都市から離れて湿原がはじまる。そこは大きい中島だったのに気が付かず対岸だとばかり思っていた。船がぐるっと回った時向こう岸だと思っていたものが中島だったことが分かった。中島には建物もありテレビ塔までたっていた。
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船を下りて聖ペテロ寺院に上ることにした。19:00ぎりぎりで入れた。7€。
エレベータ係のお兄ちゃんは携帯依存症だった。今どきの若者なのか。でも、お客さんにあいさつくらいしてもいいと思うけど。
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聖ペテロ寺院の塔の上から俯瞰すると街の様子がよくわかる。広い!
やはり街は一回は上から見ないとわからない。

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帰りはミニスーパーで買い物。ミニ人参、ヨーグルト、ワイン6.55€、チーズなど合計13.49€を買ってホテルの部屋で食べた。タリンのジャガイモをここで食べ切った。アパートメントのくせがついてしまったが、テーブルやキッチンがないホテルの部屋で食べるのはわびしいから、明日は美味しいレストランに行こう。

エストニア/ラトビア  タリン街歩き

6月24日 3日目

朝起きると雨が降っていた。えーっ? でも、昨日買った美味しいジャガイモ、パン、卵、トマトなどの朝食をとって街歩きに出かけた。結構寒い。Aさんはセーターを着込んだ。

まず、インフォメーションに行って、エストニア野外博物館のバスを調べた。インフォメーションの人、この時必要な情報を教えてほしかった。「雨なのに行くの??」とは言われたけど今日は博物館は休みだとは言っていなかった。実はエストニアでは6月23日は戦勝記念日24日は聖ヨハネの日と夏至祭で祭日だったのだ。そして、祭日は閉まってしまう施設が多いことがわかった。何も知らない私たちは、この時は野外博物館に行く気まんまんで、時間まで街歩きをすることにした。

ラエコヤ広場では
旧市庁舎の前でパチリ。広場にはカフェが出ている。カフェの奥、建物と建物の間の道を進んだ。昨日のインフォメーションセンターの隣の聖ニコラス教会は祭日なので中は見られない。
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ピック通りの多分のぞき見トムの家と3人姉妹の家。船がついたのか、港から登って来る観光客がたくさんいた。
太っちょマルガリータはその名のとおり、どっしりと構えていた。
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聖オレフ教会を左から見ながらラボラトーリウミ通りを
城壁に沿って進む。城壁に上りたいのに11:00からと書いてあるのでさらに先へ行く。先にも書いたように、祭日だから11:00になっても開かないことが後ほどわかった。
かわいいお嬢さんに無料ですと呼び止められて小さな教会に入る。アルバイトかボランティアか、彼女は美大生だそうだが中の聖画ににはあまり詳しくないようなので自主的にみた。地下は博物館、そしてなぜか力士が入った箱が???エストニアからは関取のバルトもいたしね。これは、バルトだろうか。
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塔の広場では庭園コンクールをやっていたので、その中を通りぬけていった。
広場の終わりに城壁に上れる塔があったがここで休日は開いていないことを通りがかりのカップルに教えられる。残念。
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時間になったので、バス停に向かった。バス停は駅の隣の奥ということはわかっていたが、歩いて行くとなるとなかなか見つからない。やっと広場の奥の方に見つけた。そこに座っていた人に確認すると、バス停の停留所をチェックしてくれたが・・・目指すバス停はない。Zooはあるのに???でも、確かに野外民族博物館に行くというので、そのままベンチに座っていたら、ドイツ人夫婦の旅行者がやってきた。行先は同じ、バス停の名前もちゃんと知っていた。Vabaohumuuseumeでなく,Rocca al Mare,地球の歩き方に違うよメールを出しておこう。バスの値段は1.6ユーロ
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しかし、やはり休みだった。
バス停には、休みだと知らないでやってきた人たちが何人もいた。ここにはタリン行きの反対側のバス停はなく、一時間くらい次のバスを待たなければならない。若者はそれならと歩き歩き出した。
ドイツ人の夫婦は森の中のバス道をハイキングして森の反対側のバス停に行くという。われわれは、迷わず“Follow you” とついて行った。
森の緑は染まりそうな若緑色、妖精がいても不思議はない雰囲気を楽しんだ。しかし、足の長さの差はいかんともしがたく、途中何度も走ってfollowするはめになった。反対側のバス停に着いたら大雨になり雷までなって首を縮めたり、そのバス停は間違いで、更に正しいバス停まで移動したり一筋縄ではいかなかったが、無事にバスが来てタリン市内まで帰ってこれた。バスを下りて、「バス停チーム」は手を振って別れた。

昼食はインフォメーションのの傍のレストランの呼びみにつられて中に入った。シンプルなパンがとてもおいしかった。3種類頼んで3人でシェアした。スープと(マッシュルームスープ)4.5ユーロ鴨のステーキ、12.5ユーロ、フィッシュ&チップス 6ユーロ 。どれも、大当たりで美味しかった。水5ユーロ(水だけは空港より高!!)

腹ごしらえも終わって街の残りの部分の散策。
アレクサンドル・ネフスキー大聖堂、展望台。このあたりから、中国人の団体客と行く場所が重なって落ち着かなかった。
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トームペア城  のっぽのヘルマン塔。政府の一部がこの城に入っているので、上から青黒白のエストニアの国旗が塔の上にはためいていた。近くに行くと本当にのっぽだ。そして大きい。
エストニアの国旗の青黒白は何か地味な色合いだ。調べてみると青は中世のエストニア紋章の色で自由、黒は独立が失われていたことの歴史、明るい未来を表すのだそうだ。なるほど。

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物見の塔キーク・イン・デ・キョクを眺めながら丘をおり、気になっていた聖ニコラス教会の傍の日本大使館を確認。門前に友好の桜が植えてあった。
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夕食はスーパーで買い足して明日のお弁当にも備えた。パン、ワイルドライスサラダ、さくらんぼ、エビの瓶詰、ハム、チーズ、マッシュルームなどなどをかった。28.83ユーロ。ビールも三缶。3人分でとても安い。3人いればアパートメントはとてもいいと思った。
ウインナは失敗。日本のシャウエッセンの方がおいしい。
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エストニア・ラトビア ラヘマー国立公園

6月23日 第2日目

今日はラヘマー国立公園へ行く日だ。天気は良さそう。みんな早く起きたので、まず、付近を探索してみようということになって7:00過ぎにホテルをでて繁華街の方へ向かった。


ホテルの傍にお洒落なカーテンの店、カフェなどがあったがどこもまだ閉まっている。さらに進むと24時間の字が書いてある店を発見。ショウウィンドウには服や靴下が飾ってあるので、ちょっとわからなかったが入ってみると食料品も売っているコンビニだった。それではと、朝食の材料を買ってホテルに戻った。パン、ヨーグルト、野菜サラダ、枝付きのトマト、チーズ、そしてインスタントコーヒーを買った。アパートメントので台所で調理して思いがけず豪華な朝食となった。

少し早目にホテルを出て、集合場所のインフォメーションセンター前に向かった。
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ヴィル門を抜けて旧市街に入り、聖ニコラス教会の前の広場にインフォメーションセンターはあった。集合時間の10時までの間にトイレの場所を探すと教会のうらてに移動式のトイレがあった。このような簡易トイレは観光地のあちこちで見かけたが、どれも、すごく綺麗に掃除されていて気持ちが良かった。

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ツアーはここで申し込んだ。英語ツアーで8人までの人数制限。
http://www.traveller.ee/tour/lahemaa-national-park-day-trip/
(The total cost will be 165 euros and you can pay that on the spot in cash)
結果的には大当たりのいいツアーだった。日本でHPから申し込むことができた。ガイドさんと同行者が素晴らしかったこともあるが。ガイド兼運転手さんはマーチンさんという若い男性。参加者はイタリア人、アメリカ人2人、日本人の私たちより少し年上に見える姉妹、それに我々の7人だった。


まず行ったのはJägala juga(The Jägala Waterfall) 水はとてもきれいだが、土の色で薄茶色になっているという。。石灰岩の川床は滝に削られだんだん後退しているという。冬になると滝の水が凍って白いカーテンのようになるという。この水にはバクテリアがないので何も腐らないという話だったが信じられないくらいの色だった。。滝の裏に行く人ということで、HさんととOさんが手を挙げた。アメリカ人の若者は?えっ!行かないの?滝の左端に二人が小さく見える。滝の裏の岩は薄茶色の泥でぬるぬる、二人はあちこち泥だらけで戻ってきたので、マーチンさんはちょっと気にしていた。
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草原牧草地を抜けて、それから、しばらく、ラヘマー国立公園への森をドライブ、ドライブ中にマーチンさんは達者な英語で公園についての説明をしてくれた。ときどきハンドルから手を離して手ぶりも混ぜるのでちょっとひやひやした。エストニアの山の高さは300mくらいとか、森にいる動物の話とか・・・。
次に行ったのは古いマナーハウス。立派な建物だ。修復途中。
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マーチンさんは次は秘密の場所に案内しますという。
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森の中の細い道をどんどん行く。狭すぎる!一方通行ですかと聞くと違うという。対向車が来たらどうするのかと思ったが、対向車には遇わず、森を抜けて海岸に出た。

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右の写真、なぜ、海に白鳥がいるか、この湾は真水が多く流れ込むので塩分が少ないのだそうだ。
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この水路に潜水艦を入れ、両側のレールに吊り上げて修理したとか。潜水艦に着いた磁気をとるとか。
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室内にはソ連の水兵さんの落書きが残っている
この部屋には禁煙のマークのある柱があるが、その周り以外は喫煙できたそうだ。ソ連時代の話をする時のマーチンさんは批判をユーモアにくるんで話す。内容は ・・・・・・シベリア抑留の話とか  
当時何もなくてクリスマスプレゼントにキウイフルーツをもらった子供が泣き始めて「なんでプレゼントがジャガイモなの?」といったとか。

次はKasmiの海運博物館についているレストランで昼食
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サーモンの燻り焼き、ジャガイモとディップ・・・・黒パン、デザートのケーキ どれも手作り。私たちがつく時間を考えて、料理を作っていてくれたようだ。ここの料理はすばらしいかった。とにかく新鮮でおいしい!!3人ともジャガイモにはまる。
そのあと、博物館を見学した。昔の木製の船、漁業の道具など。私たちが日本人とわかって長崎から来たという手紙を見せてくれた。
次に行くところは2択で数人乗りのブランコか、ビーバーダムなどを見るハイキング。全員がハイキングを選んだ。ブランコも魅力的ではあったが、家族連れらしいのが乗っていて空きそうもなかった。
ハイキングコースは森の中を歩く。よく整備されているが、私たち以外誰もいない森だ。途中でビーバーダムを見た。ビーバーは巣の入口が敵に襲われないようにダムを作るが、川の流れを変えてしまうこともあるそうだ。
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次に立ち寄ったのはSagadi Mõis 新しいマナーハウス。よく手入れされた庭、建物は今は森林博物館になっている。時間が10分位しかなかったので、中には入らなかった。
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いよいよ、本日のメインviru湿原ハイキングだ。
湿原の入口の木々に白い毛のようなものがついている。ガイドさんの話によると、この白いもの、寄生植物?は環境がいいところでないと繁殖しない。これをタリンに持っていくとすぐに死んでしまう。しかし、これが繁殖した木は枯れてしまうという。何とも複雑な・・。
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湿原には尾瀬のように木の道があるが、湿原の中に足を入れること、植物を採ることはそう厳しく制限されていないようなのが不思議だ。マーチンさんは湿原に降りてワイルドローズマリーの小さい葉を摘んでみんなに一つずつ配ってくれた。みんなで葉を半分に折って香りを楽しんだ。ブルーベリーの群落もあり夏には実を摘んで食べることもできるという。いいなー。
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湿原の中ほどに見晴らし台があり、湿原を一望できる。息をのむような美しい景色だ。
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マーチンさんはここから車に戻り、湿原の終点で私たちを待っていてくれるという。
「まっすぐ木の道を進むとT字路があるから、右へ行け。丘を登ると車が止めてあるのが見える。」いうことばをたよりに、すっかりチームになった7人はイタリア人を先頭に木の道を進む。
行けども行けどもTに出会わず、リーダーのイタリア人「誰かがTを盗んだ!!」。みんな大笑い。
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無事にTを見つけ、丘を登ってマーチンさんの車を見つけたときはみんな歓声を上げて喜んだ。
帰りの車の中でも、興奮状態で誰も寝なかった。
観光案内所で名残惜しいが解散。

夜はまた、スーパーでいろいろ買い込み夕食を作って食べた。ビールも込みで21ユーロの買い物だった。お昼のジャガイモがあまりにも美味しかったので、多すぎるかと思ったが1キロ袋を買ってしまった。
美味しかったので3日くらいで全部食べ切った。

エストニア・ラトビアーエストニアへ

6月22日 第1日目
今回はAさんHさんOさんの手作り旅行。AHO?!
旅行前にバスの現地時刻表をフル活用して予定を立てた。
http://www.bezrindas.lv/en/home


さて、当日
〔東京(成田)発〕11:00(TERMINAL2)予定通り。
FinnairAY074/S
        15:20(TERMINAL2)ヘルシンキ到着。
旅行案内にあったサウナor足湯を探したがなかった。利用はビジネスクラスの乗客のみ。残念!
でも、ゆっくり寝られそうな長椅子を発見。奥の矢印は一人用のシャッター付きのベッド?中に入ってみたかったが、子供連れが遊んでいたので,あきらめた。

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飛行機に乗る前にサンドイッチで腹ごしらえをした。参考までにヘルシンキのエビサンド6.9€ハムチーズ5.9€、お茶500ml 4.8€、ちなみにVAT(税金?)14%。ヘルシンキは高すぎる。空港内だから??

〔ヘルシンキ発〕20:40(TERMINAL2)空路、フィンランド航空直行便にてタリンへ。
FinnairAY115/S

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タリン着21:15
まだ、まだ、明るいが、スーツケースがあるのででタクシーで。

空港で、キャッチタクシー?につかまってしまった。やはりタクシー乗り場で乗らないとだめね。
反省反省!!
初乗り料金を見て、メーターを倒したので安心したが、すぐにタクシーのメーターがどんどん上がるので全員ドキドキ。メーターばかり気にした。40ユーロ。結局、後でホテルで聞くと平均のほぼ4倍の料金だった。地球の歩き方にタクシーによって値段が違うという風には書いてあったが。1キロごとの値段に大きな差があるとは思わなかった。タクシーの窓にはちゃんと表示してあったので、別に悪いタクシーに当たったわけではないのかもしれない。エストニアは窓に張ってある紙、のちのラトビアでは扉に金額が表示してあるのでそれをよく確認して乗らなければならないという教訓をえた。

タクシーを下りてすぐ、Oさんは貴重品一式の入ったカバンをタクシーの助手席の足元に忘れたことに気づいた。信号待ち?をしていたタクシーに手を振りながら走るとタクシーは気が付いてUターンしてきた。無事カバンは戻り一安心。もし、すぐ気づかなかったら?信号待ちをしてなかったら?道がすごく混んでいたら?すごく悪い運転手だったら?と思うとヒヤッとしたが、まあ運がついているということで・・・。これから気を付けよう。

ホテルはDharm Yoga Residence Apartments 3名  3泊で 225€
時刻が遅いこともありそこのレストランでカギを受け取るが入口の開け方がわからず右往左往。
メインのドアを開けるのは、カギについているチップをオートロックについているチップに付けなければならない。それが、はじめはわからずに入口はどこだと右往左往した。
無事入れた時には「やれやれ」。

ホテルは、きれいなアパートメント、キッチンも充実している。




再びのインドー5 デリー

3月31日
いよいよ最終日になってしまった。REDFOXともお別れ。
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12時にアシッシュさんが迎えに来てチェックアウトし荷物をタクシーに積み込んだ。今日はデリーの観光をしてから空港に向かう。
私には2度目のデリーなので、夫に先輩風を吹かせてやろう。(^_-)-☆
まず行ったのはクトブミナール。13世紀の初めにイスラム王朝がデリーにできた。デリーの歴史はこのスルタン王朝に始まるそうだ。スルタンのお墓にはコーランが書かれているが、時代が下がって造られた塔(ミナレット)の文字はヒンズー教徒が作業したためにアラビア文字が正確に彫れなくて模様を入れてごまかしてあるそうだ。(右側の方の写真)私たちにとってはどちらもきれいだけれど。
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偶像崇拝を禁ずるイスラム教なのでヒンズー教の建造物を壊して建物を建てたため、神像の顔の部分だけを削り落としてある。これも歴史。でも、3つの宗教が併存していたエローラがいいな。0000.jpg
73メートルのミナレット(ミナール)。「段の飾りから次の段が花が咲くようにのびているでしょう」とアシッシュさん。1段目から3段目までと4段目以降は別の王様が作ったそうだ。ちょっと傾いているように見える。これより高い塔を作ろうと試みた王様もいたが、基壇部分までしか出来上がらなかった。それでこれがインドで一番高い石塔だ。実は斜塔であるという説もある。この写真では傾いて見える。
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この後、アシッシュさんにマーケットに連れて行ってもらって買い物をした。お茶の古帛紗になりそうな美しい織物、お香などを買った。夫は夏用の白いインド服の上下を買った。手ごろな値段でお土産がそろってよかった。

次に行ったのはフマユーン廟。ムガール帝国の4代皇帝のお墓でタージマハールと違って妻が夫のために建てたものだ。5代皇帝シャージャハーンがタージマハールを作るモデルになった廟。前来た時も不思議だったがユダヤの六芒星のようなマークが建物のあちこちに見える。アシッシュさんはイスラムのマークだという。イスラム教もユダヤ教からでているのでシンボルマークが重なってもおかしくはないのだろう。
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廟の内部は前回と同じく自由行動だった。廟の中には、大きな棺型の白い大理石の墓石があるが、体は廟の地下深くに埋められているという。いったん廟の中に入って出て来ると、前回は四方の門が全く同じに見えて帰り道が一瞬わからなくなったが、今回は大丈夫だった。門の様子が少し変わったような気がする。
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この後、インド門へ。
第一次大戦で戦って死んだ8万5千人の兵士の名前を刻んだインド門。パリの凱旋門を模したもの。今回も車がこんでいて近くに行けず遠くから写真を撮った。これと大統領官邸を直線の広い道がつないでいて、その区間は官庁街になっている。日本ではありえない都市計画・・・大陸の国だ。
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官庁街、ここが最後の見学場所だ。アシッシュさん本当にありがとう。お疲れ様。
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最後の食事は旅行者に人気のこのレストラン。初めてタンドリーチキンやケバブなど日本のインド料理店でおなじみの料理と私の好きなほうれん草カレーがでた。
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空港まで送ってもらってアシッシュさんと別れた。今回も本当に誠心誠意やってくれた。おかげさまで安心で楽しい旅ができた。
空港の象の親子の彫刻がなかなかいい感じだった。でも、広い広いインデラガンジー空港ANAの乗り場に到着するのになにやかにやで小一時間かかったような気がしてどっと疲れが出た。4月1日1:30のNH828便で帰国した。
インド、また来たい国だ。
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無理なく安全でそして楽しい旅行を計画してくれたアシッシュさんには、今度インドに行く時にもお願いしたいです。
彼は大学院で勉強しながら旅行ガイドの仕事をして6年のベテランです。個人旅行を計画していらっしゃる方は彼にメールで相談するといいと思いました。
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