SSブログ

再びのインドー5 デリー

3月31日
いよいよ最終日になってしまった。REDFOXともお別れ。
31-1.jpg

12時にアシッシュさんが迎えに来てチェックアウトし荷物をタクシーに積み込んだ。今日はデリーの観光をしてから空港に向かう。
私には2度目のデリーなので、夫に先輩風を吹かせてやろう。(^_-)-☆
まず行ったのはクトブミナール。13世紀の初めにイスラム王朝がデリーにできた。デリーの歴史はこのスルタン王朝に始まるそうだ。スルタンのお墓にはコーランが書かれているが、時代が下がって造られた塔(ミナレット)の文字はヒンズー教徒が作業したためにアラビア文字が正確に彫れなくて模様を入れてごまかしてあるそうだ。(右側の方の写真)私たちにとってはどちらもきれいだけれど。
04.jpg
偶像崇拝を禁ずるイスラム教なのでヒンズー教の建造物を壊して建物を建てたため、神像の顔の部分だけを削り落としてある。これも歴史。でも、3つの宗教が併存していたエローラがいいな。0000.jpg
73メートルのミナレット(ミナール)。「段の飾りから次の段が花が咲くようにのびているでしょう」とアシッシュさん。1段目から3段目までと4段目以降は別の王様が作ったそうだ。ちょっと傾いているように見える。これより高い塔を作ろうと試みた王様もいたが、基壇部分までしか出来上がらなかった。それでこれがインドで一番高い石塔だ。実は斜塔であるという説もある。この写真では傾いて見える。
05.jpg
この後、アシッシュさんにマーケットに連れて行ってもらって買い物をした。お茶の古帛紗になりそうな美しい織物、お香などを買った。夫は夏用の白いインド服の上下を買った。手ごろな値段でお土産がそろってよかった。

次に行ったのはフマユーン廟。ムガール帝国の4代皇帝のお墓でタージマハールと違って妻が夫のために建てたものだ。5代皇帝シャージャハーンがタージマハールを作るモデルになった廟。前来た時も不思議だったがユダヤの六芒星のようなマークが建物のあちこちに見える。アシッシュさんはイスラムのマークだという。イスラム教もユダヤ教からでているのでシンボルマークが重なってもおかしくはないのだろう。
06.jpg
廟の内部は前回と同じく自由行動だった。廟の中には、大きな棺型の白い大理石の墓石があるが、体は廟の地下深くに埋められているという。いったん廟の中に入って出て来ると、前回は四方の門が全く同じに見えて帰り道が一瞬わからなくなったが、今回は大丈夫だった。門の様子が少し変わったような気がする。
07.jpg
08.jpg

この後、インド門へ。
第一次大戦で戦って死んだ8万5千人の兵士の名前を刻んだインド門。パリの凱旋門を模したもの。今回も車がこんでいて近くに行けず遠くから写真を撮った。これと大統領官邸を直線の広い道がつないでいて、その区間は官庁街になっている。日本ではありえない都市計画・・・大陸の国だ。
09.jpg
官庁街、ここが最後の見学場所だ。アシッシュさん本当にありがとう。お疲れ様。
31-9.jpg
最後の食事は旅行者に人気のこのレストラン。初めてタンドリーチキンやケバブなど日本のインド料理店でおなじみの料理と私の好きなほうれん草カレーがでた。
001.jpg
空港まで送ってもらってアシッシュさんと別れた。今回も本当に誠心誠意やってくれた。おかげさまで安心で楽しい旅ができた。
空港の象の親子の彫刻がなかなかいい感じだった。でも、広い広いインデラガンジー空港ANAの乗り場に到着するのになにやかにやで小一時間かかったような気がしてどっと疲れが出た。4月1日1:30のNH828便で帰国した。
インド、また来たい国だ。
002.jpg

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
無理なく安全でそして楽しい旅行を計画してくれたアシッシュさんには、今度インドに行く時にもお願いしたいです。
彼は大学院で勉強しながら旅行ガイドの仕事をして6年のベテランです。個人旅行を計画していらっしゃる方は彼にメールで相談するといいと思いました。
Ashish.jpg
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。