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再びのインドー5 デリー

3月31日
いよいよ最終日になってしまった。REDFOXともお別れ。
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12時にアシッシュさんが迎えに来てチェックアウトし荷物をタクシーに積み込んだ。今日はデリーの観光をしてから空港に向かう。
私には2度目のデリーなので、夫に先輩風を吹かせてやろう。(^_-)-☆
まず行ったのはクトブミナール。13世紀の初めにイスラム王朝がデリーにできた。デリーの歴史はこのスルタン王朝に始まるそうだ。スルタンのお墓にはコーランが書かれているが、時代が下がって造られた塔(ミナレット)の文字はヒンズー教徒が作業したためにアラビア文字が正確に彫れなくて模様を入れてごまかしてあるそうだ。(右側の方の写真)私たちにとってはどちらもきれいだけれど。
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偶像崇拝を禁ずるイスラム教なのでヒンズー教の建造物を壊して建物を建てたため、神像の顔の部分だけを削り落としてある。これも歴史。でも、3つの宗教が併存していたエローラがいいな。0000.jpg
73メートルのミナレット(ミナール)。「段の飾りから次の段が花が咲くようにのびているでしょう」とアシッシュさん。1段目から3段目までと4段目以降は別の王様が作ったそうだ。ちょっと傾いているように見える。これより高い塔を作ろうと試みた王様もいたが、基壇部分までしか出来上がらなかった。それでこれがインドで一番高い石塔だ。実は斜塔であるという説もある。この写真では傾いて見える。
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この後、アシッシュさんにマーケットに連れて行ってもらって買い物をした。お茶の古帛紗になりそうな美しい織物、お香などを買った。夫は夏用の白いインド服の上下を買った。手ごろな値段でお土産がそろってよかった。

次に行ったのはフマユーン廟。ムガール帝国の4代皇帝のお墓でタージマハールと違って妻が夫のために建てたものだ。5代皇帝シャージャハーンがタージマハールを作るモデルになった廟。前来た時も不思議だったがユダヤの六芒星のようなマークが建物のあちこちに見える。アシッシュさんはイスラムのマークだという。イスラム教もユダヤ教からでているのでシンボルマークが重なってもおかしくはないのだろう。
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廟の内部は前回と同じく自由行動だった。廟の中には、大きな棺型の白い大理石の墓石があるが、体は廟の地下深くに埋められているという。いったん廟の中に入って出て来ると、前回は四方の門が全く同じに見えて帰り道が一瞬わからなくなったが、今回は大丈夫だった。門の様子が少し変わったような気がする。
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この後、インド門へ。
第一次大戦で戦って死んだ8万5千人の兵士の名前を刻んだインド門。パリの凱旋門を模したもの。今回も車がこんでいて近くに行けず遠くから写真を撮った。これと大統領官邸を直線の広い道がつないでいて、その区間は官庁街になっている。日本ではありえない都市計画・・・大陸の国だ。
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官庁街、ここが最後の見学場所だ。アシッシュさん本当にありがとう。お疲れ様。
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最後の食事は旅行者に人気のこのレストラン。初めてタンドリーチキンやケバブなど日本のインド料理店でおなじみの料理と私の好きなほうれん草カレーがでた。
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空港まで送ってもらってアシッシュさんと別れた。今回も本当に誠心誠意やってくれた。おかげさまで安心で楽しい旅ができた。
空港の象の親子の彫刻がなかなかいい感じだった。でも、広い広いインデラガンジー空港ANAの乗り場に到着するのになにやかにやで小一時間かかったような気がしてどっと疲れが出た。4月1日1:30のNH828便で帰国した。
インド、また来たい国だ。
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無理なく安全でそして楽しい旅行を計画してくれたアシッシュさんには、今度インドに行く時にもお願いしたいです。
彼は大学院で勉強しながら旅行ガイドの仕事をして6年のベテランです。個人旅行を計画していらっしゃる方は彼にメールで相談するといいと思いました。
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再びのインドー4ホームステイ

3月30日
お父さんがお出かけになった後、妹さんがトーストとミルクティーと果物の朝食を4階まで運んできてくれた。申し訳ない。トーストがとてもおいしかったので聞いてみると「ギー」を塗ってあるという。「ギー」は子供の頃よんだ「ちびくろサンボ」にでてきた虎が溶けてできたバターの名前で美味しそうな響きだったことを思い出した。お母さんにお願いしてギーの瓶詰を見せていただいた、オリーブオイルのような黄色っぽい透明な液体で香りはバター。買って帰りたいと思ったが、買い忘れた。帰国してから日本でインドの食材を売っているサイトを見つけたので今度トライしてみようと思う。

アシッシュさんの家から空港が見えるというので、屋上に上った。管制塔が見える。屋上の上にある階段に上ると、飛行場の建物まで見えた。小さい飛行機が離着陸を繰り返すのも見える。曇っていたし、屋上は涼しい風が吹いていて気持ちがいい。アシッシュさんが椅子を運んで来てくれた。途中でお母さんも加わって屋上でおしゃべりした。
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お昼ごはんを作るところを見せていただいた。お母さんと妹さんが作ってくれた。妹さんの英語の解説付きなのでわかりやすかった。チーズのカレー、ジャガイモの炒め物、コーンフレークのようなものそしてチャパティーだ。香辛料がいっぱいあったが、一つの品には2.3種類を入れるだけだ。カレーができて私たちが席に着いてから、お母さんがこねてあった種であっという間にチャパティーをたくさん焼いたのにびっくりした。速い!02.jpg
レストランで何回か食べたカレーと違って、やさしい味がした。家族で毎日食べるものはこうなんだ。アシッシュさんはお母さんのカレーは世界一と少し照れたように言っていたが、本当にそうなんだと思う。

お返しに、日本から持ってきたお菓子と抹茶を差し上げた。お菓子はよかったが、抹茶はお母さんと妹さんには駄目だった。やはり、コンデンスミルクかクリームを持ってくるべきだったと、反省。日本に来ていろいろな味に馴染んだ学生と同じに考えてはいけなかった。
そのあと、サプライズということでサリーの着方を教えていただいた。額に張るシールも付けてくれたので少しインド人のようになれたかな。


夫はその間に近所を一回り一人で散歩してきた。道が込み入っていてわかりにくく、迷子になると困るので持っていくようにとアシッシュさんが名刺を渡してくれた。安全第一ね。なかなか帰ってこなかったのでちょっと心配したが住宅街にある牛小屋を見つけたとか、散策を楽しんだようだ。
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3時少し前にアシッシュさんの友達が車で来てくれて、私たちをREDFOXホテルまで送ってくれた。
ホテルでゆっくりし、夕食はホテルの食堂で食べた。そのあと、BARに移動してビールを飲んだ。
夫は何はともあれビールがあればこんな顔。
ここはwifiが使いやすいので私は日本へメールしたりFacebookに写真を載せたりした。
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再びのインドー3エローラ石窟

6月29日
朝、ホテルの窓から庭を掃除している人たちがいた。サリー姿が美しかった。
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今日は9:00に出発。午後はデリーに戻るので荷物も昨日のタクシーに積んでもらって出かけた。
エローラに向かう途中にDULATABADという山城のそばを通った。赤い塔が目立つ。中には格別なものはないということで、写真に収めるだけ。
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エローラ石窟はアジャンター石窟よりずっと近く2時間弱で到着した。駐車場を下りるとすぐに遺跡だ。
エローラ石窟はAD6世紀ごろから9世紀ごろにかけて仏教の石窟、ヒンズー教の石窟、そしてジャイナ教の石窟の順に作られたといわれている。アシッシュさんは「一番遠いジャイナ教の石窟(時代的には新しい)に先に車で行きましょう」と言ってその近くまで車で行ってもらったので体力的にはずいぶん楽だったと思う。下の地図を見るとよくわかる。
また、この日は、少し薄曇りでそんなに暑いとも思わない。「この天気はとてもラッキーですよ、普通エローラの観光は暑くて大変なんです」とアシッシュさん。私たち天気についている?
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車を降りると見学路の道路に遺跡番号が書いてあるのでわかりやすい。
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見学路には入っていないがまず、ここから見ましょうとアシッシュさんが案内してくれたのが
第30窟、岩山を掘り出して作っていった過程がよく見える作りかけの石窟だ。今、削っている最中というような石窟の内部の柱にはもうこんなに繊細な石の彫刻が刻まれている。この透かし彫りのあるクッション型の飾りがある柱はこの後の建物にも多く見られた。
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第32窟、石を彫り出して作った窟というより、もうこれは石彫りの寺院だ。9世紀のもの。石の門をくぐると庭の中に拝殿がある。拝殿を守る象。これも歓迎のポーズだという。
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続いて石窟内に入る。
ジャイナ教の開祖はマハーヴィーラ。ジャイナ教の修行僧は体に何もつけない。だから、衣服を着ていない像はジャイナ教のものだそうだ。
ジャイナ教の大事な神様はその他に富の神クーベラ、豊穣の女神やヤクシー、この3体が大体セットになって飾られているそうだ。
真ん中が裸体のマハーヴィーラ。左が豊穣の神ヤクシー、右が富の神ヤクシャまたはクーベラ?どちらも日本では夜叉として伝わっている。(クーベラは布袋様のよう太鼓腹だが、調べてみると日本の七福神では毘沙門天に当たるということだった。ヤクシーは鬼子母神。)
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32窟33窟と同じような内部だし、中でつながっているので下の聖堂はどちらのかわからなくなったが、奥には預言者が祭られている。下は33窟の外観。柱の形が特徴的だ。
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車で駐車場まで戻ってこんどは仏教エリアへ、第1窟から15窟までを番号と逆に進む。
第15窟は2階建てだ。内部は現代の鉄筋の建物のようだ。縦横の線がよく揃っていて、設計力技術力の高さにびっくりする。どんな工具を使ったのか。
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ここはヴィハーラ窟が多く中はがらんとしていて、奥の方に釈迦、周りには菩薩像が彫られている。
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第12窟は3階建て、石の階段は一段一段が高いのでゆっくり上がる。
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四角い柱が並ぶ内部はとても広い。部屋の中央の広い四角いスペースは昔水を入れて鏡にし、東の窓から入る朝日を反射させて内部の装飾を美しく見えるようにしたという。下を見るとこんな感じ。
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右端に見えるのが第1窟あそこまで歩く。
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第10窟はチャイティア窟、アジャンター石窟でも見たように木造建築を模して造られいる。
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内部はアーチ型の梁のある高い空間、釈迦の坐像が中央にある。写真を撮りますから座ってくださいとアシッシュさん、一瞬恐れ多い?と思ったが疲れていたし、失礼させてもらった。
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アシッシュさんはここで、「ブッダン シャラナム ガッチャーミー(仏に帰依します)」という基本のお経の文句唱え、「此処はよく響くでしょう」という。なるほと、声もいいし、なかなかいい感じ。夫もカンボジャで習ってきたこのお経を合唱して、これもなかなかいい感じ。


最後の第1窟が見えてきた。
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第5窟チャイティア窟。エローラで一番内部が広い。奥は仏堂。石のテーブルのようなもので、僧侶たちが食事をしたらしい。夫は僧になったつもりで座ってみた。
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第2窟の仏堂には釈迦像が。ここは、皆さんが、拝んでいるところなので、私もルピーのお賽銭をあげて、平安をお祈りした。
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ヒンズーのエリアは16窟のカイラーサ寺院だけを見た。一つだけで十分見応えと迫力がある石彫り寺院だった。
下の写真の門を入るとカイラス山を象徴する高さ33メートルもある石彫り寺院が現れる。
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これを岩山から掘り出したなんで信じられない。100年かけて作られたというがよく破綻せずにここまでの形を作り上げたものだ。インド人の数学能力の高さと根気に脱帽。「この寺は馬が引く馬車の形をしています」とアシッシュさん、日本人が考える馬車とはイメージが異なるので、後で調べたらスーリアという太陽神の馬車をかたどったというスーリア寺院の形に似ていた。スーリアをシバの8形態の一つとみる考え方もあるそうだ。シバの神の象徴リンガこのお寺の一番高い部屋に祭られている。
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また、記念写真のお誘いがあってインド人の家族とパチリ。後ろにあるのは象が川から水をくみ上げてラクシュミーにかけている浮彫。ラクシュミ―は日本に来て吉祥天になった。
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世界を支える象の彫刻が本殿と前殿の周囲に並んでいるが、鼻が折れているものが多く惜しまれる。前殿の南側の壁にはマハーバーラタの物語が彫られている。(反対側はラーマーヤナ)
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最上階のシバ神のお堂を見てから門の上に上って寺院全体を見ることができた。美しい!そしてすごい迫力。裏山に上って全体を見る道もあるそうだが、時間がなくて行けなかった。
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16:25の飛行機でデリーに帰らなければならないので、ホテルカイラスというレストランで食事をしてからすぐ、車に乗ってアウランガバドの空港へ向かった。国内便でも2時間前に空港に着かなければならない。
2日間お世話になった運転手さんと空港でお別れした。車に乗る時も降りる時もドアーを開けてくれて親切だし、安全運転だったし、いい運転手さんだった。ありがとうございました。

デリーに着いたのは7時を過ぎていた。今夜は中華レストランで食事だという。少しカレーに飽きていた夫は中国料理でほっとしたようでビールを何倍もお替りしていた。いや、お替りはいつもの事だった。店員さんはみんな顔が中国系なので夫がつい中国語で話しかけると「I’m Indian!!!」と強く言われてしまった。

今晩はアシッシュさんのお宅にホームステイだ。お家は空港の近くの住宅街。道幅がだんだん狭くなった。タクシーが入らないということで少し手前で降りた。我々のスーツケースはアシッシュさんが運んでくれた。
きれいな玄関の扉の前にかわいい子犬が2匹寝ていた。飼い犬だそうで夜は玄関の前で寝るという。インドの犬は私たちの子供の頃のように自由に動き回れていい。犬の表情も穏やか。
お宅にお邪魔すると、お父さん、お母さん、妹さんが温かく迎えてくれた。居間の椅子に座ると、温かいミルクティーにビスケット、焼き菓子、ナッツのようなものを出してくれた。どれもおいしかった。アシッシュさんの通訳でしばらくお話をしてから、泊まる部屋に案内された。アシッシュさんの家は4階建て、私たちが止まるのはその最上階の客間だ。
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エアコンや扇風機をつけてくれたが、付けなくてもじゅうぶん涼しかったので止めて寝た。寝心地のいいベッドで朝までぐっすりと眠った。

再びのインドー2 アジャンター石窟

3月28日
今日は8時30分出発。車の中でアシッシュさんはオーランガバドの地名の由来を話してくれた。ダージマハールを作ったシャージャハーンをアグラ城に幽閉したアウランジーブ帝がこの地を支配した時、アウランジーブの町という意意味で付けた名前だそうだ。前の旅行とつながった感じで懐かしい。
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車を一日借り切ってアジャンター石窟を見学する。
アジャンター石窟まで3時間余りの道のりなので、途中でちょっと休憩。
アシッシュさんが注文してくれた水牛のミルクは熱々で砂糖であまい味がついていておいしかった。青い実は熟していないマンゴーの実。
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アシッシュさんと安全運転の運転手さん。二人ともとても親切で優秀で安心旅行だ。
後ろにある白い車が私たちの車。
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道路を歩く羊の群れ。こちらでは、牛じゃなくて羊をよく見かける。
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やっとアジャンダーに到着。花盛りだ。車を駐車場に止めて、お土産物街を抜けて行くとバス乗り場がある。
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バスに乗って5分くらいで遺跡の入り口に着いた。
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ガジュマルの大木、4種類の木が一本の木になっている。それから少し階段を上ると遺跡が見えてくる。ゆっくりゆっくり。
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アジャンダー石窟の全貌が見えてきて感激。大きく湾曲しているワゴラ川の渓谷の崖に沿って掘られている。
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すぐに地元のガイドさんが来て、彼の説明をアシッシュさんが通訳してくれる。本人も石窟について一通りの知識があるが、精確に案内するために地元のガイドさんを頼んでくれたのだ。特に壁画についての説明が詳しく暗い石窟の天井や壁をライトで照らして見せてくれた。壁画を守るためにフラッシュは厳しく禁止されているので写真にはちゃんと写っていなかったのは残念。

第1窟はAD500年ごろの石窟で、中には仏陀の前世の話の壁画がぎっしり、王がお城を出ていく場面から始まる。懐中電灯の光に浮かび上がる壁画は繊細で美しい。一番奥には転法輪印の仏陀の坐像、像の足元には2頭のシカ。ここはヴィハーラ窟といって僧院なので僧侶が住む部屋も掘られている。そこは3畳くらい?とても狭い。
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そしてハイライトは蓮華を持つ菩薩像。これが見たかったの。教科書に載っていたあの絵は思ったより大きかったし、いきなり第一番目に見られたので大満足だった。薄暗い光の中でも美しかった。
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天井画も美しい。ユーモラスな動物 怪物?植物など。
第2窟(AD600年)もヴィハーラ窟。作りは第1窟と同じように奥には仏陀の像、窟内は壁も天井も壁画でぎっしりだが、とにかく真っ暗なので、案内の方の懐中電灯だけが頼りだ。手持ちの100円ライトをつけてみたが、光が頼りない。写真はあきらめてみることに専念したが、説明を聞きながらずっと上を見ていて首が痛くなった。
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しばらく同じ作りのヴィハーラ窟が続くが洞窟と洞窟をつなぐ通路は階段の上り下りがあって結構きつい。
第9窟(BC100年)10窟(BC200年)はチャイティヤ窟。チャイティヤ窟は初期のもので、仏陀を象徴する法輪や仏足石、ストーパなどが祭ってある洞窟。入り口は馬蹄型のアーチがすごく綺麗だが大きすぎで通路から写真に撮れなかった。あとで、絵ハガキか写真集を買おう。

第10窟、最大の洞窟で、イギリスの軍人が虎狩りをしていて見つけたといわれている。確かに隣の9窟の2倍近い高さがあるので木が茂っていても建造物らしく見えたのだろう。床の石のくぼみは壁画のための絵具を入れるところだそうだ。こういうものも面白い。
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第12窟はヴィハーラ窟。小さな部屋にベッドが向かい合わせに彫ってある。アシッシュさんが「寝てもいいですよ」というので、夫はお坊さんの気持ちになって?しばし休憩。
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ちょうど中間地点まで来た。左が来た道、右がこれから行く道。
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第16窟(AD5世紀)の入口に像の彫刻がある。前足を折っているのは歓迎のポーズだそうだ。
階段を上ると広間の奥に仏陀、壁や天井に壁画。しかし、だんだん見るのに疲れてきた。ここでかわいいお嬢さんたちのグループに一緒に写真を撮りましょうとのお誘いがあった。インドの人には「平たい顔族」が珍しいらしい。この後も、何度も写真のお誘いがあった。私たちもいい記念になった。
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第19窟(AD600年)チャイティア窟は彫刻が素晴らしい。入り口から菩薩や仏陀、天女や力士の彫刻がぎっしり。ガイドさんははっきり力士と発音して私たちを見てにっこりした。内部の彫刻も素晴らしい。天井には本当の木造建築のようにアーチ型の梁が彫刻されている。洞窟の内部とはとても思えない。象徴的な意味を持つストーパの彫刻も初期のものと比べると複雑になっていて、前面に仏陀の彫刻がなされているのは大乗の考え方が入っているからだ。
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現地ガイドさんの説明はここまで。三分の二は制覇したが、夫はかなり疲れたようで、「ここで待っている、元気が出たらゆっくり行くから先に行って」という。しかし、アシッシュさんは「ゆっくり休みながら行けば大丈夫、一緒に行きましょう」という。かなり休んでから、再び歩き出したが、夫は少し目が回っていたそうだ。

ヴィハーラ窟が続くので彫刻を流し見しながらゆっくり歩いた。新しい時代のもので未完成のものも多い。
第24窟は内部が大雑把に彫られていてどうやって作ったかがわかる。わかるが、設計力、技術力、チームワークのすごさは想像を超える。
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とうとう最終第26窟(AD650年)にたどり着いた。リスも出迎えてくれた。
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内部は第19窟と似ているが、アーチや柱の上の彫刻はより精巧。左側の柱の後ろにある大きな涅槃仏をはじめとして、石窟の内部にはは仏像がぎっしり彫ってある。
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帰りは途中から橋を渡って近道をした。レストランにたどり着いて美味しいカレーの昼ご飯を食べた。
下の図は電子看板を映したものだが、左下の赤いバスがバス停。赤い線が歩いた道だ。
個人旅行でゆっくり行けたから走破できたね。アシッシュさんありがとう。
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また、オーランガバドまで3時間以上の車の旅、運転手さんお疲れ様でした。
夜はホテルのレストランで、昨日の夕食の挽回とばかり、アシッシュさんはビールや鶏肉カレーなどを注文してくれたので助かった。

再びインド1-ムンバイ

3月26日
今回は完全な個人旅行。前回(http://plaza.rakuten.co.jp/uchiferret/diary/201307060000/)お世話になったアシッシュさんとメールのやり取りをしながら、アジャンター石窟とエローラ石窟に焦点を絞って計画した。アシッシュさんのお宅のご好意でホームステイもさせていただけるということも楽しみの一つだ。

成田空港を17:15発のANAで出発。
飛行機は順調に飛んで30分早めにデリー上空へ、真夜中だが街の明かりが広い範囲に見えた。お迎えが来ているかちょっと心配したが、アシッシュさんはちゃんと来ていてくれた。
空港近くのREDFOXホテルに宿泊。夜中の1時近くなのにホテルの入口には門番がいて、運転手に証明書を見せたりタクシーの荷物入れを開けたり、厳重なチェックがあった。この後もホテルに入るときは、同様なチェックあって面倒だがある意味安心だった。REDFOXは小ざっぱりした、感じのいいホテル。翌日は4:30に迎えに来るとのことで早く寝た。


3月27日
4時のモーニングコールの前に目覚めた。お茶を飲んで荷物の準備。4:30にロビーに行くとアシッシュさんはもう来ていた。サンドイッチをもらって空港へタクシーで向かった。
国内便だけれどチェックは厳しい。ボディチェックもある。女性はカーテンの中でチェック。「ジャパニ?」とニコニコ顔で聞かれた。
6:30デリー発のINDIGOエアー、ムンバイまで2時間余りの旅だ。

ムンバイ到着。空港で観光タクシーに荷物を積みこんで観光が始まった。
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有料道路に入ってマヒム湾にかかる長い橋パンドラ・ワーリー・シー・リンクを渡った。吊り橋のワイヤーが美しい。
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まず見学したのはDHOBI GHAT。DHOBIは洗濯人、GHATは水辺に降りる道という意味。植民地時代にイギリス人の洗濯物を洗うために作られた施設だが今はムンバイ中の洗濯物が集まってくるそうだ。ものすごい量の洗濯物、一日中手作業で洗い続ける、容易な仕事ではない。あの中から持ち主にちゃんと正しく戻るのか心配になるが、印がついていて、きちんとアイロンされて戻るそうだ。
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洗濯場のそばがマハラクシュミー駅。電車のドアーを開けたまま走っているのにびっくりするが、バスもそういうのが多かった。
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車で移動中にインド第一(世界5位?)のお金持ちの家があった。27階建てのタワーで6階建ての駐車場やでヘリポートや劇場まで付いているそうだ。洗濯場を見た後だとなだかなーと思ってしまう。
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その気分を直してくれたのはガンジー記念館MANIBHAWAN。
住宅地の中で見過ごしそうな記念館だ。ガンジーの独立運動のシンボルになった糸巻車がデザインされた看板の前で一通りの説明を聞いて内部はゆっくり自由に見て回った。
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一階は図書館になっている。壁にはガンジーの言葉がいくつも掛かっていた。
Democracy must in essence … mean the art and science of mobilizing the entire physical, economic and spiritual resources of all the various sections of the people in the service of the common good of all. この言葉は。ちょっと難しい。
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3階にはガンジーが実際に生活した部屋がある。質素なベッド、糸巻車など。床の模様が美しい。
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3階の残りの部分はガンジーの生涯のジオラマ。子供の頃ガンジーの伝記を読んで尊敬したことを思い出した。実際のインドを見ると彼の運動は想像以上に大変なことだったと思う。
ガンジーは*神は信仰など持っていない。*「目には目を」という考え方では、世界中の目をつぶしてしまうことになる。*握り拳と握手はできない。など今必要な言葉もたくさん語っている。

次はインド門。デリーのインド門とは違ってイギリス王と王妃が1911年にムンバイを訪れたことを記念して造られた。以後船でインドに入る際の儀式的入口となった。アシッシュさんが英語でいうと区分けがつくよと教えてくれた。ムンバイのはGATEWAY OF INDIA デリーのはINDIA GATE。
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インド門の傍のタージマハールホテル。1903年にインド人建築家によって建てられた。西洋とインドの様式を混合しているという。2008年のムンバイ同時多発テロ立てこもり事件があったホテル。右側がその新館。
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少し遅いお昼をSAMURATというベジタリアンのレストランで。デザート以外はお替り自由。カレーが何種類もあって楽しい。チャパティもおいしい。インドに来たなーと思う。
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これはイギリスの建築家が19世紀の終わりに建てた中央駅。チャトラパティ・シヴァージターミナス駅 元はヴィクトリア ターミナス駅と呼ばれていた。
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東京駅ができたのと同じ頃だけど、大きさが全然違う。

また、パンドラ・ワーリー・シー・リンクを渡って空港へ。
オーランガバド行きの飛行機はプロペラ機。
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オーランガバドに着陸した時はドーンという衝撃が!飛行機が痛むのではないかと心配したがアシッシュさんはいつもの事ですと笑っている。キャーと声を上げるお客さんもいるそうだ。
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ホテルに入る前に南インド料理の店で食事をした。中にジャガイモが入ったドーサ。
この店もベジタリアンでビールが注文できなかったので夫がふくれてしまった。アウランガバドではいいレストランはベジタリアンの店がほとんどらしいので、翌日はホテルで食べることにし、今日は食後にビールを仕入れてホテルで飲むということで夫も納得した。
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翌日はお酒を売らない日だというので、夫は酒屋にタクシーを停めてもらって缶ビールを4本買い込んでホテルに持ち込んだ。のん兵衛はややこしい。
ホテルはRAMA INTERNATIONAL きれいなホテルだがWIFI設備は不便だった。
Log off しなかった?とかで、メールチェック、Facebookと「着いたよ送信」だけで30分の接続を3回したことになってしまってチェックアウトの時に1500ルピーほど取られた。高っ。

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