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南インド旅行 [旅行]

久しぶりのインド、本当は北インド、レーなどラダック地方に行きたかったのだが、パキスタンとの間でカシミール地方が問題になってしまったので、Aさんの勧めで今まで考えたこともなかった南インドに行くことに決めた。

Aさんから南インドを車で回る旅のプランが送られてきたので、まずはビザを取らなければならない。
自力でビザを取ろうとしたがインドのビザのサイトは、時間切れになったりうまく次のページに飛ばなかったりいつも苦労する。今回は時間的に余裕もなかったので業者に頼むことにした。業者の担当者が言うにはよくインドに行くのなら、e-visa がいい。ネットで必要書類や写真を送るだけで早くとれるし5年間有効だという。それならとe-visaを申し込んだ。三日くらいでビザが取れた。送られてきたファイルを印刷して本当に大丈夫かなと少し心配しながら出発した。
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9月28日(土)
ANAの19:00成田発。デリーには23時過ぎに到着した。大きな手のオブジェが並ぶ到着ロビーのエスカレーターを降りて、e-visaの人は右に行く表示があったので、その先のカウンターでおそるおそる印刷してきたe-visaを見せるとあっという間に、入国のスタンプが押され手続きが終わった。これはなかなかいい。
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荷物が出てくる間に携帯のローミングをONにして、Aさんと連絡を取った。つながってほっとした。
飛行場の出口には懐かしいAさんの顔が、タクシーで飛行場の近くのホテルへ送ってくれた。もう、1時を回っているのに明日は4時半にチェックアウトで空港に向かうという。ありがたいことにWIFIを無料で貸してくれたので、自宅に到着メールを送ってから寝た。


9月29日(日)
4時半チェックアウトをすますと、Aさんが迎えに来てくれた。全然寝ていないそうだ。申し訳ない、飛行機で寝てください。
デリー空港の国内線の乗り場へ向かった。水は手荷物検査に引っかからないというのでペットボトルを持ち込んだ。
飛行機の中は外国人が他にはいないように見えた。おかしかったのは飲み物のサービスはあったが食事は予約が必要といわれたこと、Aさんは前にはこんなことがなかったのにと困っていた。どうも、便によって違うらしい。(帰りの便では普通に食事が出た)仕方なく、車内販売のカップヌードルみいなものを注文して食べた。

お昼前にチェンマイ空港に到着、これからずっと運転してくれるドライバーさんパンデバさんが迎えてくれた。飛行機でちゃんとした食事が食べられなかったので、さっそくレストランへ、南インド料理の第一歩としてドーサ(縁がパリッとしたクレープのようなもの)を食べた。それと豆のカレー、ベジタリアンのAさんに習って旅行中はベジタリアン食にすることにした。
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それから、車で郊外へ移動、3時間くらい乗っただろうか、海岸寺院として有名な世界遺産のマハーバリプラムに到着。旅行案内だとコンパクトにまとめてあるが、この遺跡群の移動には車が必要なくらい広い。始めにシバ神を祀る海岸寺院へ。
ここで、この場所のガイドさんが合流。
海岸寺院は波の浸食などで大祠堂しか形をとどめていないが、残された内壁の上にはシバ神の乗り物である牛の彫刻がずらっと並び壮観だった。大祠堂の中にはシバ神の象徴の大きなリンガが祭られていた。Aさんはこの祠堂を時計回りに一周して願い事をするとかないますという。シバ神の力はとても大きいのだそうだ。家族の安寧を祈って一周した。
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そのあと車に少し乗ってファイブ・ラタへ。現地ガイドさんもバイク?か何かで移動してくれていた。ここのすごさは、五つの建造物がすべて一つの大きな花崗岩から掘り出されていること。7世紀のものだが、南インドの建築様式のもとになっているものだそうだ。
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屋根の形がそれぞれみんな違う、寄棟の民家型、切妻の民家型、仏教礼拝型、そして階段状で彫刻に埋め尽くされた南インド風の建物。庭には象、ライオン、牛の彫刻がある。
この後、山の方に戻り、花崗岩の岩山に掘られた「アルジュナの苦行」を見に行った。象の鼻先に滝のようなくぼみがあり中にコブラが神に変身して登っていくような像が目立っていた。実はガンガーの女神が降臨する様子なのだそうだ。
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このそばに、クリシュナのバターボールという不思議な大石がある。斜面にあるボール状の石なのに転がり落ちない。象八頭にひかせても落ちなかったという。地震の多い国から来ると何とも危なっかしい光景だが、実は下の岩盤とつながっているのかもしれない。
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この後ホテルで少し休み、夕食は南インド料理のレストランへ。バナナの葉を敷いた上にカレーやご飯を載せて混ぜて食べる。パーラーター(ジャガイモが入ったナンのようなもの)ブーリー(パリッと揚げた薄いせんべい状のスナック)そして、ベジタリアンのカレー。
ホテルはとてもきれい。窓を開けると小さい庭に出て椅子に座ることができる。木も植わっていて素敵なのだが、暗くなってしまったし、昨夜ほとんど寝てなかったので、早くベッドに入った。
9月30日(火)

5時ごろ目が覚めたら薄明るくなっていた。ホテルは海のそばだということを聞いていたので、ホテルの中庭をぐるっと回ってみると、門が見えて守衛さんがいたので「海はどっちか」と聞いたら、「まっすぐ行って左」と教えてくれたので、歩いて行ってみた。
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バイク旅行のグループと日の出見物の人が2,3人、海岸はほぼ独り占め状態で朝日が昇る瞬間を見ることができた。水平線は薄い雲がかかっていたが、空の色がだんだん明るくなって、雲の隙間がオレンジ色に輝いた。ベンガル湾の日の出だ!早起きしてよかった。ホテルに戻って部屋に入ろうとしたらカギが開かない。チェックインの時携帯と一緒に持つと磁力でおかしくなると聞いていたので、やってしまったかと思ってフロントへ行った。フロントで直してもらってもカギは開かない。フロントの人が来てくれて開け方を教えてくれた。ハンドルともって回すのでなくハンドルの根元を抑えて回すと簡単に開いた。外国ではよくカギに泣かされる。
朝食は早かったせいか、私一人、ウェイターが親切にいろいろ世話を焼いてくれた。ビュフェスタイルだったので、カレーを少し、南インド風のイドリー(米粉の蒸しパン)マサラドーサとゆで卵とヨーグルトをとってきたのだが、親切なウエイターが卵料理はどうかというのでお願いしたら、皿一杯の具入りスクランブルエッグだった。ちょっと食べすぎた。
8時ごろチェックアウト、内陸のカンチ―プラムへ車で向かった。道の両側に農地というか草原というかとにかく広い、ずっと地平線に向かって走る。時々山羊が道ばたを移動しているので私が写真に撮ろうと騒いでいたら、運転手さんはたくさんヤギがいるところで止めてくれると言ってくれた。

3時間ほど走ってカンチ―プラムに到着。ここ最大のエーカンパラナータル寺院を見学した。白い大きなゴープラム(塔門)を見ながら、沐浴の池のそばで靴を預けて本堂に入った。大きな柱に支えられた回廊を進むと、ヒンズー教徒しか入れないシバ神を祀った本堂がある。本堂の前で写真だけ取って回廊を一周した。
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回廊にはシバ神の象徴であるリンガがズラッと並んでいて壮観。回廊の幾つかの場所に小さい祠堂があってそこは外国人もOKでお祈りをしてくれる。シバ神の祠堂で白、パールバティの祠堂では赤の色を額に付けてくれた。IMG_3474.JPG

祠堂の中庭には、樹齢3500年!というマンゴーの木をみた。甘、苦、酸、辛の味がする4種類のマンゴーがなるという。熟し具合じゃないのかなと思ったりもした。
お昼ごはんは南インド料理、バナバの皮の上に載った。パーラーターとカレーで軽く。
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車に乗ってタンジャブールへ向かう。また、地平線の果てまで広がる畑、草原、所々で放牧の山羊がみられる。5時間くらいかかるという。平らないい道だが、単調といえば単調で運転手さんは大変だろう。夕方近くやっとタンジャブールに着いた。
ホテルに寄らずに直接、世界遺産のブリハディーシュワラ寺へ向かった。入り口には靴の預り所がある。靴を預け、はだしで寺院の門をくぐった。広大な敷地に、大きな寺院が立っていた。1010年に造られた世界一高いシバ神の祭殿。祭殿の一番上の冠石は80トンもあるそうだ。寺院の作り方はピラミッド方式、長い長いスロープを作って、石彫りの柱、彫刻などの部品を象にひかせて引っ張り上げたという。
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ここで目に付いたいたのはルンギ(腰巻スカート)を着けた男性、Aさんの話によると正式には男性はルンギに上半身裸でお参りするものだそうだ。祭殿の前にはインドで二番目に大きいというナンティー像があるが、これも一つの黒い石で彫ってある。
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ヒンズー教徒のAさんは祭殿に入れるので、せっかくだからと祭殿でお祈りしてきてもらって、その間に広い寺院内を歩き回っていろいろな角度から祭殿の写真を撮った。
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日が暮れかかってきたので、赤みがかった陽光が祭殿を照らしてとても美しかった。日が周りの壁に隠れ少し薄暗くなっても、Aさんがなかなか出てこなかったので、ちょっと心配した。靴を受け取って寺院の外に出たらもう暗くなっていた。
夕食を食べてホテルへ。
10月1日(火)
朝、出発前にロビーでAさんを待っていたとき。面白い飾り物がロビーにあることに気づいた。ひな壇のようなものがあり、そこにはヒンズー教の神様の像がたくさん飾ってあったのだ。サラスバティとかシバ神、ガネーシャなどが何となくわかる。下の段には人間たちとか野菜などが飾ってあってほほえましい。夢中で写真を撮っていたら大失敗。Aさんに「これを踏んではいけません」と注意された。ひな壇の前に砂絵が書いてあったのに気が付かず絵を崩してしまっていたのだ。Aさんがホテルの人に話してくれたが、本当に恥ずかしい、気を付けなければならない。
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これは、帰国して「ナヴァラトリ(Navaratri)」という10月に行われる女性の祭、正にひな祭りだということが分かった。
8時半ごろホテルを出て王宮博物館に行った。開くのは9時からなので時間つぶしにAさんがお茶の店で買ってくれたチャイを立って飲んだ。仕事に出かける人たちがお茶の他にパンのようなものを食べていた。
王宮は中庭を囲んで建てられていて、寺院の本殿のような高い建物が目立つ。大きな王様の像やシバ神などヒンズー教の神々の像がたくさん飾ってあった。高い建物に途中まで登り、中庭を見下ろすととてもきれいだった。
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それから、マドライに向かって出発。またまた、空と白雲と緑の草原、畑が地平線でつながる風景が続く。マドライまで5時間以上かかるというが、不思議に見ていて飽きない風景だ。
途中でココナツ売りの店を見つけてストップ。ココナツジュースを買って飲んだ。たくさんの山羊の群れが見えたので、約束通り運転手さんは車を止めてくれたので写真を撮ったがカメラを構えている間に山羊はどんどん遠のいてしまった。
ようやくマドライに着いた。マドライは旧市街と新市街にヴァイハイ川で分かれているが、お目当てのミーナクシー・アンマン寺院は旧市街にホテルは新市街にある。
ミーナクシー・アンマン寺院はミーナクシー(南インドの女神だがシバ神の妻パールバティと同一視されている)とシバ神を祀っている。Aさんのスケジュールでは、毎晩行われる夜の祭事を見に来ることにしているという。中は暗いので夜でも昼でも見え方は変わらないから、とりあえず明るいうちに四つの塔門をじっくり見ようというアドバイスに従って車を降りて寺院の北門に向かった。
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細い路地を抜けると今までに見たどのゴープラム(塔門)より大きくカラフルな塔門が見えた。全部で3000体以上の神像が隙間なく刻まれていて気が遠くなるようだ。北―東―南―西のゴープラムを順番に見て歩き写真をとった。なんと根気よくぎっしり彫刻をしたものだと思う。
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ホテルで休み軽い夕食をとってから、午後7:30ごろまたミーナクシー・アンマン寺院へ。塔門には何本かの電飾が吊るされ部分的にライトアップがされている。中は写真撮影が禁止だ。旅行案内書の写真を見ても説明図を見ても内部の想像がつかないのでワクワクする。
現地ガイドさんと合流、履物を預けて北門から入った。北門からは中庭のようなところに出る。寺の壁の中にはライトアップされた幾つものゴープラムが見える。寺の建物の中と外が複雑に入り組んでいる不思議な建物だ。左に進んで東門のそばから、建物の中に入った。豪華な彫刻のあるたくさんの太い柱に支えられた寺院の内部はまさに異空間。日本の寺院の内部とは大きく違う。でも、異教徒が紛れ込んでいるという気分はなく、受け入れられている感じがするのはヒンズーの神像を見慣れてきたからか、多神教という共通点なのか。シバ神のリンガがある広場の前にシバ神の祠堂がある。ここは、異教徒が入れない場所だ。
そこから、右回りに回廊をまわった。回廊の天井には極彩色の丸い文様が描かれている。壁にもいろいろな像が置かれていたが、あまりにも多く印象がごちゃごちゃになってしまった。雛段飾りがたくさん並んでいる場所、神様を載せる小さい山車のような乗り物が並んでいる場所、細い通路を抜けると空が見える場所に出た。沐浴池だということで池の周りは階段状になっていた。沐浴池の周りを一周するとライトアップされた、シバ神殿、ミーナクシー神殿の金箔が貼られた丸屋根部分が見られた。素晴らしく美しい。
池の傍にミーナクシーの神殿がある。ここも、異教徒が入れない。そこから、また、細い通り道を抜けて回廊にでた。シバ神の広場に行く途中で天井画「リンガの絵」がどちらの方向から見ても同じように見えるという説明があった。
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確かに水が流れる方向が同じに見えた。その絵を大体頭に入れたので、後で書いてみたが、机の上に置いたときと天井画では見え方が違う。意識して描いたのか、後から参拝者が見つけたのか。さすがインド!面白い。
祭事が始まるまで間があるというので、Aさんは、シバ神の祭殿へお祈りに、私はもう一度中を見学に。内部の地図が頭ちゃんと入っているとは言えなかったので、ちょっと不安だったがもう一度沐浴池の夜景を見たかったから。回廊だから同じと思って今度は左回りをしたのが、失敗だった。だまし絵のところに細い通路があったので、そこに入っていくと見たような雛壇や山車が並んでいたが、ちょっと様子が違う。でも、中はつながっているはずと進んでいくと何とか沐浴池にでた。実際は前に来た場所と丁度対角線の位置に出たので、正面にシバとミナクシーの金の屋根が美しく見えたのだが、あとで地図で確認するまで気が付かず、結局、沐浴池を一周して同じ道で戻った。かなり遠回りをしていた。
Aさん、ガイドさんとシバ神殿の前で合流した。スペイン人の団体客10数人も祭事を見に来ていた。更に1時間近く待って10時半ころ、銅鑼とラッパの音が響きシバ神殿の中からもうもうと煙るお香に包まれてシバ神が載った輿が僧侶に担がれて出てきた。そして走るような勢いでミーナクシーの神殿へ。神殿の前で結婚式の楽器の演奏をする。ミーナクシーの足型が神殿の中からシバの輿まで運ばれる。お香がまたひとしきり焚かれ、足形に聖水をかけジャスミンの花をたっぷり盛る。結婚が成立しシバ神の輿は神殿の奥に入る。これで儀式は終わり。朝はこの逆でシバ神は自分の神殿に戻る。これを毎日繰り返すのだそうだ。
この後西門の方へ出て、中庭を回って北門へ、靴を受け取ってガイドさんと別れた。ホテルに着いたのは11時過ぎだったが、得難い体験をした。

10月2日(水)
今日は朝早めに出発して、カニャークマリまで7時間かけて移動するという。気が遠くなるが、運転手さんはもっと大変。また、美しいが単調といえば単調な車の旅。今回も、たくさんの山羊の群れが見えたので、約束通り運転手さんは車を止めてくれた。今回は、山羊飼いの人たちが山羊追いの棒を貸してくれたので、それを持って写真を撮ってもらった。インドの山羊は黒くて体格もよく動きも早いような気がした。
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途中の小さいレストランで食事、昼ご飯はチーズカレーにした。べジの炒めご飯、味付けはもちろんインド風。それとラッシーを飲んだ。街を離れるとトイレが不便、町ではほとんどペーパーはなくとも小さいシャワーのようなものがついているのに。携帯ウォシュレットを持ってきたのに油断してスーツケースに入れたままだった。そのうち慣れるかな。
カニャークマリまでの道では風力発電の風車がたくさん見えるという。確かに、南へ下るにつれてどんどん数が増えてきた。この広い土地にして風力発電が効果的なのかもしれない。しかし、回っていない風車が多い。ちゃんと発電できているのだろうか。風車が見えるたびに写真を撮っていたがきりがなく、途中で飽きてしまった。
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午後カニャークマリに着いた。チェックインをするとすぐに船に乗って近くの岩礁にわたるという。船着き場に行くとあまり離れていないところに二つの岩礁が見え、遊覧船が2隻往復している。遊覧船に乗り込むときに大きな発砲スチロールの救命胴衣を配られた。ちょっとの距離なのにと思ったが、みんなちゃんと身に着けている。私のは留め具が壊れていた。Aさんが自分のと代えてくれるといったが、ご本人が泳げないというので、代えすのはやめて一応肩にかけた。もし沈んだらこれにつかまればいい、まずそういうことはないと思うそのくらいの距離だった。
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小さい方の岩礁には巨大な像が立っていた。タミルの詩人ティルヴァッルヴァルという人の像だそうだ。地球の歩き方にはそこにも上陸できるように書いてあったが、キリスト教徒との対立のため今はそこに上陸できないそうだ。もう一つの大きい岩礁はヴィヴィエーカーナンダ岩、同名の19世紀のヒンズー教改革者が瞑想にふけったことで有名になり、そこに記念堂が建てられて観光地になったそうだ。
ここは記念堂とは言え聖地でもあるので、はだしにならなければならないが、30度近くの気温では岩が焼けて飛び上がるほど熱い。でも、道順を示す白い塗料の上を歩くと幾分熱さが緩和されるのでうまくできているなと思った。階段を上って岩の一番高い部分の建てられている記念堂に登った。中には大きな詩人の像があった。展望台からは、ベンガル湾インド洋ペルシャ湾の3つの海が一望できる。
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Aさんの話によると水の色が少し違うのがわかるそうだが、今日は見たところ普通の海を眺める時と同じ濃い青と少し薄い青で3つの海の色というようには見えなかった。4時には島を出なければならないので急いでボート乗り場に並んだが、そのあとすぐに長い列ができた。並ばずに乗ろうとした人がかかりの人に止められて、最後尾に並ぶように言われていた。並んだ時間と船に乗って対岸に着く時間が同じくらいかかったと思う。
ここは、太陽が海から登って海に沈む町とある。しかし、ホテルでは朝日を屋上で見ることができるが、夕日は海岸までいかないと見られないという。Aさんと海岸までどうやって行こうかと話していたら、ちょうど運転手さんがホテルから出てきたので夕日の話をすると車で行ってくれるといってくれた。ほんとうに、やさしい人だ。歩くと結構な時間がかかる距離だったので、とても助かった。

海岸に着くともうたくさんの人が集まっていた。富士山でご来光を見た時の事を思い出させる光景だ。波打ち際では、服を濡らして波と戯れながら待っている人もいた。私その仲間に入り海水に足を入れたが、そんなに冷たくなく気持ちがよかった。濡れた裾もすぐ乾くような気温だし。太陽が沈み始めると水平線近くの雲の色がどんどん変わっていくので何枚も写真を撮った。雲が多かったが、ちょうど太陽が沈むときに一瞬姿を現し、海に沈んで行くが見えたので、歓声が上がった。
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この海岸には、先の詩人の像にキリスト教徒が対抗して作ったといわれる聖母子の像を載せた小さな展望台があったが、ちょっとここにはそぐわない感じがした。
帰り道は夕日を見た人たちの車で、ホテルまで大渋滞だった。道をよく知る運転手さんが回り道をして何とかホテルにたどり着いた。どこかへ食べに出るのも面倒なのでホテルで夕食を食べた。

10月3日(木)
いよいよケララ州へ。運転手さんによると、今までは道がよかったけれどここからは道が悪くなるので車が揺れるといわれた。確かに工事中の道なども多く、これがそうなのかと思ったが、運転手さんの細心の注意を払った運転のおかげで、快適なドライブだった。
途中、運転手さんの提案であるヒンズー教寺院に寄ってくれた。Aさんと寺院内に入り、ヒンズー教徒しか入れない奥の院。Aさんが受付の人に何か話すと異教徒の私も入れてもらえることになった。暗い狭い本堂への道をお参りの人について入っていった。みなさん、チラッチラッとこちらを見るが、お祈りに専念している。暗いお寺の奥深く、更に小さい暗いお堂の中に、燈明に照らされてシバ神のその子供のムルガン(スカンダ)などが祭られているようだった。軽く手を合わせてから、ほかの参拝の人より早く外に出た。ちょっと緊張した。「外国人が入れるのは、なかなかないことです。たぶん、前世はインドに住んでいてヒンズー教徒だったのでしょうね。」とAさん。私が興味を持ちそうな壺をよく知っていて、いろいろ考えてくれる。

もう一つ、運転手さんのお勧めで、海岸に行くことになった。ヤシの林を抜けて、海岸に出ると! なんて広くて美しい海岸、水平線が180度近く広がっている。海にも砂浜にもごみ一つ落ちていない。そして人はあまりいない。しばらく、波打ち際で打ち寄せる波に足をつけて戯れた。
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何かすべて忘れて、ここにいるという感じ。のどが渇いたので、海岸で売っていたココヤシジュースを買って飲んだ。
景色は徐々に変わり、道路沿いにもココヤシの木が増えてくる。更に道の左右に川か湖のようなものがちらちら見えてきた。いよいよアレッピーのバックウォーター地帯に入る。
広い川にはたくさんのハウスボートが浮かんでいるのが見えてきた。しばらく行ってココヤシなどの林に囲まれた細い道に入り、さらに狭い路地の入口で車が止まった。ここから、歩いてハウスボートに向かった。水辺に出るとたくさんのハウスボートが並んでいた。二階建てのようなものも、小舟のようなものもあり様々。
ハウスボードへのチェックインをしに行ったAさんが困った顔をして帰ってきた。二部屋予約してあったのに、一部屋に他の一組がチェックインしてしまっていたというのだ。ベッドはダブルからシングル二つにしてくれるというが・・。ほかのボートを借りると高くなるかもしれないという。雑魚寝をすると思えばいいから、富士登山の時でも山小屋で雑魚寝だったしそれで大丈夫と答えた。
とりあえず荷物を入れると、昼食が出た。相客は新婚旅行の上品でかわいい夫婦だった。二種類のカレーとカレイの揚げ物ブーリーやチャパティとご飯とサラダ。自己紹介をしながら食べた。新婚夫婦はマドライから来たという。私たちは日本に留学していた時の先生と学生いうことに。
そのあとに、クルーズが始まった。ハウスボートは狭い川から広い湖に出て行った。とても広く美しく写真を撮るのに忙しかった。
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ハウスボートはやがてまた狭い水路に入り、そこで小さなボートに乗り換えた。水郷地帯で暮らす人たちの生活が水路の両側に広がっていた。洗濯や水浴びをしたり、食べ物を洗っている人もいた。ボートはかがまなければならない橋を幾つもくぐりそのたびに私たちは大騒ぎした。

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そうこうしているうちに、新婚夫婦と何となく親しい雰囲気になり、お互いに写真を取り合ったり、ボートの席を替り合ったりして楽しく過ごした。本当に上品で感じのいい人たちだった。
小舟がまた広い湖に出た時きれいな虹がかかっているのが見えた。新婚の二人の門出を祝っているようだった。またハウスボートに乗り込んで湖を回った。途中に魚の販売所があったので船を降りた。クーラーボックスにいろいろな魚が入っていた。私たちはおいしそうなエビを選んだ。エビを買ってまた船に乗り船着き場に戻った。ここで停泊して一晩泊るのだそうだ。クルーズじゃないのかと思ったが揺れないので寝やすいのかもしれない。
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夕食には豪華なエビの揚げ物が出た。後はカレーとサラダと炒め野菜、ブーリー、ナンなど。夕食後Aさんはしばらく食堂で携帯ゲームをするというので私はさっさと寝てしまった。
10月4日(金)
いつもの習慣で5時には目があいた。空が少し白んでいたので、もしや朝日が見られると思って、部屋の外に出た。船を降りるのは、はしごもなくて無理、台所のある方に回ってみると空が赤くなっていた。台所には船の従業員がいたので、彼に頼んで朝日が見られる甲板に出してもらった。朝日を見るのにちょうどいい時間だった。写真を撮っていると、Aさんも起きてきて、シャッターを押してくれた。
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朝食を食べ、新婚のお二人は次の目的地に出発。私たちも9時過ぎにボートを後にした。昨夜雨が降ったらしく、水郷地帯だからか、車のある道までに大きな水たまりができていた。私の靴は水の中でも歩けたのだけど、Aさんは気を使ってくれて、よそのお庭を通れるように交渉してくれた。しかし、ちょうど、バイクのお兄さんが通りかかると彼を呼び止めて、後ろに乗せてくれと頼んでくれた。お兄さんは気軽にOKしてくれて、私たちはらくらく水たまりを超えることができた。ありがとう、お兄さん!
車に乗って、コーチへ向かった。道は相変わらず悪いが、運転手さんは細心の注意を払って運転してくれるので快適だ。コーチに海岸から入り橋を二つ渡った。中の島は軍隊の駐屯地になっているそうで海には軍艦らしいものが浮かんでいた。ホテルは内陸部にあった。夕方食事をしてからケララの伝統的宗教舞踊カターカリナ・ダンスを見に行くというので時間までホテルで休んだ。

ケララ・カタカリ・センターはフォートコーチンの岬にあるので、ホテルから30分くらい車で行き、降りたところから細い路地に入る。細い路地の両側にはチベット風のレストランがあって秘密めいた雰囲気があった。奥まった場所にあるセンターの階段を上ると、あまり広くない劇場があった。お客さんは少なく、前の方の席が取れた。
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出し物の始めはインド空手のパフォーマンス、狭い舞台を目いっぱい使って、目にもとまらぬ技が繰り出される。特に、鞭のようにしなう刀を何本も合わせた武器を使っての戦いの実技には手に汗を握った。最後にお客に護身術を教える出し物があった。若い女性や子供が舞台に登って教えてもらっていた。私は護身術でもないので、一緒に写真だけ取らせてもらった。並ぶと私より小さい方だったのでびっくりした。演技中はとても大きく見えたのに。
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次にカタカリダンスの前の化粧のパフォーマンスが始まった。男の人が二人舞台に座り込んで顔を白く塗り始めた。一人の人は舞台に寝そべると、化粧係の人が紙のひげのようなものを張り付け始めた。若い方の演者やは白塗りをし目の周りにも化粧をすると美しい女性になった。なんで、化粧する場面を見せるのかと思ったが、後で聞くとカタカリは寺院で神に奉納するもので、それは化粧の場面から始まるのだそうだ。ひげを付けたのがインドラの息子、民族衣装なのか大きく広がったスカートのようなものを身に着けているのがどうも見慣れない感じ。
化粧が終わるころになると、急にお客が増え、満席近くなった。化粧を見ないでダンスだけというツアーなどが多いのかもしれない。外国人が多かった。
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ダンスの前に目や手で感情をあらわるという説明があり、説明に合わせて女装した俳優が目を手を動かしてくれた。特に目の動きなど歌舞伎と共通するようなものがある。
話の筋が日本語で書いてあるパンフレットが配られた。悪魔のナクラツンディは、インドラの美しい息子ジャヤンタンに一目ぼれして女性に変身して誘惑するが、受け入れられない。怒ったナクラツンディは、本来の恐ろしい姿に変身してジャヤンタンを攻撃するが結局退治されてしまう。という話だ。見どころは、美しく女装したナクラツンディの誘惑の踊り、変身の早変わりだ。やはり、歌舞伎と似ているような気がする。
踊りが終わったのは8時近くだったので、劇場の傍のレストランで簡単な食事をした。一回ぐらいインドのビールを飲んでみたら?とAさん、自分は飲まないくせに。一応おすすめのビールを注文したが飲みきれなかった。
明日の出発は少し遅い、ホテルの近くでお祭りの飾りが見られる、その飾りは8日の最終日には全部燃やされてしまうとAさん。朝一人で散歩をしてみることにした。

10月5日(土)
Dussehra(ダシェラ)というのはラーマーヤナの話から来ていて、ラーマ王子が魔物のラーバンと戦ってしてシーター姫を救ったという話をもとに毎年10月の始めにラーバンの大きな張りぼてを作り最後の日にそれに火をかけて燃やすのだそうだ。
ホテルの近くでもラーマの像や飾り物のイベント会場があると聞いたので、朝、一人で散歩してみた。会場には門番がいて、中には入ってはだめだというので、会場の周りをぐるり回ってホテルに帰った。まだ、出発までに時間があるので、会場の反対方向へ歩いてみたら、寺院の門のようなものが見えたのだ入ってみると、小さい寺院があった。寺院の門をくぐるとおびただしい数のハトがいる。よく見るとお坊さんのような人がえさを撒いていた。エサはお米のように見えた。
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本堂の前でうろうろしていると、お坊さんが中に入ってもいいという。ルピーの小銭をお賽銭に入れて、シバ神をとたぶんミナクシーを拝んだ。ダシェラだからかラーマとシータの結婚式の絵が飾ってあった。お坊さん?は私の行くところに来て何かと説明してくれたが、最後に「日本円を持っているか」と聞かれた。怪しい?かな。「持っていないと言って、さっさと見学を切り上げた。
11時ごろAさんと運転手さんが迎えに来てくれた。フォートコーチンの岬、そこへ行くのは遊覧船で行き、そこで運転手さんが待っていてくれるらしい。今度の船は救命胴衣もなかった。海風が気持ちよく、快適だった。
船を降りるとそこは、昨日ダンスを見たところの近く。
昼食は昨夜カターカリダンスを見た場所と同じ敷地にあるチベット料理の店で食べた。
水餃子と焼きそば、バター茶。南インドにも沢山のチベット人が住んでいる。
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次は、コチでは定番の観光チャイニーズフィッシングネットを見に行った。チャイニーズフィッシングネット=海中に沈めた網をロープで引き上げるってどういうことかと思っていた。見てなるほど、シーソーなんだ。細長い大小の二等辺三角形に組んだ鉄パイプを底辺で130度くらいの角度で組んでシーソーになるように岸壁に固定、小さい方の先に四角く張った漁網、大きい方の先には沢山のロープ。ロープの先に石をいくつかつけてバランスを調整、何もしないと網は海中に沈み、何人もの人がロープを引くと網が上がってくる仕掛けだった。
仕掛けの割にあまり魚が上がらないなと思っていたら、写真のような大物が!この辺りは観光客相手の出店が出ている。その中には、とれたての魚を買うと向かい側にあるレストランで調理してくれるという店もあった。
次はバスコ・ダ・ガマが葬られた教会、聖フランシス教会。ガマの遺体はのちに本国に持って帰られたということで、今は記念碑だけが残る。白いきれいな教会だが、インパクトは薄い。これに限らず、コーチは植民地時代のヨーロッパ風の建築、教会などが多い。私としてはあまり興味は引かれない。
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次はムンバイでも見たことのある洗濯場。
大量の衣類をアイロン掛けしている作業所では、仕事中の女性がアイロンをかけてみるかと勧めてくれたので挑戦。中に炭が入った重い重い鉄のアイロン。気軽に持とうとしたら始めは持ち上がらなかった。しかし、一度アイロンを滑らすと一度で小気味よいくらいにシワが伸びる。軽いアイロンや蒸気で皺伸ばしをしている身には正に、参りました!としか言えない。
そして、デリーへの飛行機に乗るために空港に向かった。空港で、南インドの1週間を安全運転でサポートしてくださった運転手さんパンダヤさんとお別れをした。また、来るときにはお願いします。
国内線に乗る前に空港で最後の南インド料理を食べた。また、飛行機で食事が出ないかもしれないと思ったからだ。しかし、こんどは、ちゃんと食事が出た。不思議な航空会社だ。
時間通りににデリーに着き空港の近くのホテルにタクシーで送ってもらった。旅ももうすぐ終わりだ。
10月6日(日)
朝10時ごろAさんが迎えに来てくれた。まず、空軍の博物館へ行くという。Aさんの高校の傍にあり、昔から親しんだ場所だそうだ。
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インド空軍で使われた実物の飛行機が展示されていて、マニアには垂涎の的なのだろうが、私が知っていたのはロシア製のミグ戦闘機だけ。建物の外には撃墜されたパキスタンの飛行機の破片が展示されていたり、今の国防と密接につながっている博物館。ごく自然に国防について語るAさんがまぶしく見えた。
次は、映画に行くという。映画館のビルでスタバに入り、軽い昼食を食べてから、「War 」(スーパースターのリティク・ローシャンと若手ながらそのアクションとダンス能力で将来のスーパースター候補のタイガー・シュロフという二大スターの共演)を見た。時々Aさんが解説してくれるがので、何となく筋が分かった。二人のスターのアクションのすごさと、インド映画の定番のダンスシーンは迫力があった。

そのあと、5年前の思い出のオールドデリーへ街の中心部に近づくととお決まりの渋滞が、始まった。インド門を懐かしく見て、ブラ―ナー・キラーに到着。懐かしい。ダシェラの期間だけの劇場を遊園地のようなものがあちこちに設置されていた。
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小さい観覧車をたくさん見たが、その回転の仕方が尋常ではない。ゴンドラがブランブラン揺れながら回るほど。あれには乗りたくないと思った。タクシーを降りて少し歩いた。相変わらず人が多く,城壁の中には入れないので、通りの路地に入り、マーケットの中の食べ物を売る店で、不思議な、いわば「ソーメンアイス」を食べた。そうめんのような細い麺の上にアイスクリームがかかっている不思議な食べ物。Aさん曰くこれが有名な専門店だそうだ。不思議に甘いソーメンがけっこういけると思った。
これからホテルで預けた荷物を受け取り、Aさんの家にむかった。道がとても混んでいて、思ったより時間がかかった。しかも、Aさんの家の周り一帯が道路工事中で家の前まではタクシーで行けなかった。荷物を降ろし、少し歩いて懐かしいAさんの家についた。日曜日だったのでご両親も妹さんも一緒に出迎えてくれた。お母さんは少し病気をされたそうだが、お元気そうに見えた。今回も、飛行場が見える3階まで上がって、お家の中を見せてくれた。壁を塗り替えたそうで、とても、明るくきれいになっていた。
始めにお茶とお菓子をいただいて、食事はお母さん手作りのおいしいカレーとごはんをいただいた。そのあと、お母さんと色々な話をしているうちに、サリーを着ないときはワンピースのようなものを着るという話になった。手作りで作られるそうだ。わたしも、着物で袖なしのワンピースを作る話をしたら、その生地をくださるという。 薄くて肌触りのいい、夏のワンピースにいい生地なのでありがたくいただいた。また、お土産として30センチくらいの高さの金属製の仏像をくださった。スーツケースの重さは何キログラムですかと、日本を出る前にAさんから聞かれていたのはこれだったのだ。日本へ帰ってから調べると、ヒストリー仏陀といわれる、仏陀の衣にその一生の出来事を表す絵が刻まれている面白いものだった。
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9時過ぎのA さんのお宅を後にしてタクシーで空港へ向かった。空港の入口までAさんが送ってくれた。本当に、安全安心かつエキサイティングなインドの旅だった。Aさんありがとう。

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