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南インド旅行 [旅行]

久しぶりのインド、本当は北インド、レーなどラダック地方に行きたかったのだが、パキスタンとの間でカシミール地方が問題になってしまったので、Aさんの勧めで今まで考えたこともなかった南インドに行くことに決めた。

Aさんから南インドを車で回る旅のプランが送られてきたので、まずはビザを取らなければならない。
自力でビザを取ろうとしたがインドのビザのサイトは、時間切れになったりうまく次のページに飛ばなかったりいつも苦労する。今回は時間的に余裕もなかったので業者に頼むことにした。業者の担当者が言うにはよくインドに行くのなら、e-visa がいい。ネットで必要書類や写真を送るだけで早くとれるし5年間有効だという。それならとe-visaを申し込んだ。三日くらいでビザが取れた。送られてきたファイルを印刷して本当に大丈夫かなと少し心配しながら出発した。
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9月28日(土)
ANAの19:00成田発。デリーには23時過ぎに到着した。大きな手のオブジェが並ぶ到着ロビーのエスカレーターを降りて、e-visaの人は右に行く表示があったので、その先のカウンターでおそるおそる印刷してきたe-visaを見せるとあっという間に、入国のスタンプが押され手続きが終わった。これはなかなかいい。
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荷物が出てくる間に携帯のローミングをONにして、Aさんと連絡を取った。つながってほっとした。
飛行場の出口には懐かしいAさんの顔が、タクシーで飛行場の近くのホテルへ送ってくれた。もう、1時を回っているのに明日は4時半にチェックアウトで空港に向かうという。ありがたいことにWIFIを無料で貸してくれたので、自宅に到着メールを送ってから寝た。


9月29日(日)
4時半チェックアウトをすますと、Aさんが迎えに来てくれた。全然寝ていないそうだ。申し訳ない、飛行機で寝てください。
デリー空港の国内線の乗り場へ向かった。水は手荷物検査に引っかからないというのでペットボトルを持ち込んだ。
飛行機の中は外国人が他にはいないように見えた。おかしかったのは飲み物のサービスはあったが食事は予約が必要といわれたこと、Aさんは前にはこんなことがなかったのにと困っていた。どうも、便によって違うらしい。(帰りの便では普通に食事が出た)仕方なく、車内販売のカップヌードルみいなものを注文して食べた。

お昼前にチェンマイ空港に到着、これからずっと運転してくれるドライバーさんパンデバさんが迎えてくれた。飛行機でちゃんとした食事が食べられなかったので、さっそくレストランへ、南インド料理の第一歩としてドーサ(縁がパリッとしたクレープのようなもの)を食べた。それと豆のカレー、ベジタリアンのAさんに習って旅行中はベジタリアン食にすることにした。
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それから、車で郊外へ移動、3時間くらい乗っただろうか、海岸寺院として有名な世界遺産のマハーバリプラムに到着。旅行案内だとコンパクトにまとめてあるが、この遺跡群の移動には車が必要なくらい広い。始めにシバ神を祀る海岸寺院へ。
ここで、この場所のガイドさんが合流。
海岸寺院は波の浸食などで大祠堂しか形をとどめていないが、残された内壁の上にはシバ神の乗り物である牛の彫刻がずらっと並び壮観だった。大祠堂の中にはシバ神の象徴の大きなリンガが祭られていた。Aさんはこの祠堂を時計回りに一周して願い事をするとかないますという。シバ神の力はとても大きいのだそうだ。家族の安寧を祈って一周した。
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そのあと車に少し乗ってファイブ・ラタへ。現地ガイドさんもバイク?か何かで移動してくれていた。ここのすごさは、五つの建造物がすべて一つの大きな花崗岩から掘り出されていること。7世紀のものだが、南インドの建築様式のもとになっているものだそうだ。
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屋根の形がそれぞれみんな違う、寄棟の民家型、切妻の民家型、仏教礼拝型、そして階段状で彫刻に埋め尽くされた南インド風の建物。庭には象、ライオン、牛の彫刻がある。
この後、山の方に戻り、花崗岩の岩山に掘られた「アルジュナの苦行」を見に行った。象の鼻先に滝のようなくぼみがあり中にコブラが神に変身して登っていくような像が目立っていた。実はガンガーの女神が降臨する様子なのだそうだ。
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このそばに、クリシュナのバターボールという不思議な大石がある。斜面にあるボール状の石なのに転がり落ちない。象八頭にひかせても落ちなかったという。地震の多い国から来ると何とも危なっかしい光景だが、実は下の岩盤とつながっているのかもしれない。
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この後ホテルで少し休み、夕食は南インド料理のレストランへ。バナナの葉を敷いた上にカレーやご飯を載せて混ぜて食べる。パーラーター(ジャガイモが入ったナンのようなもの)ブーリー(パリッと揚げた薄いせんべい状のスナック)そして、ベジタリアンのカレー。
ホテルはとてもきれい。窓を開けると小さい庭に出て椅子に座ることができる。木も植わっていて素敵なのだが、暗くなってしまったし、昨夜ほとんど寝てなかったので、早くベッドに入った。
9月30日(火)

5時ごろ目が覚めたら薄明るくなっていた。ホテルは海のそばだということを聞いていたので、ホテルの中庭をぐるっと回ってみると、門が見えて守衛さんがいたので「海はどっちか」と聞いたら、「まっすぐ行って左」と教えてくれたので、歩いて行ってみた。
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バイク旅行のグループと日の出見物の人が2,3人、海岸はほぼ独り占め状態で朝日が昇る瞬間を見ることができた。水平線は薄い雲がかかっていたが、空の色がだんだん明るくなって、雲の隙間がオレンジ色に輝いた。ベンガル湾の日の出だ!早起きしてよかった。ホテルに戻って部屋に入ろうとしたらカギが開かない。チェックインの時携帯と一緒に持つと磁力でおかしくなると聞いていたので、やってしまったかと思ってフロントへ行った。フロントで直してもらってもカギは開かない。フロントの人が来てくれて開け方を教えてくれた。ハンドルともって回すのでなくハンドルの根元を抑えて回すと簡単に開いた。外国ではよくカギに泣かされる。
朝食は早かったせいか、私一人、ウェイターが親切にいろいろ世話を焼いてくれた。ビュフェスタイルだったので、カレーを少し、南インド風のイドリー(米粉の蒸しパン)マサラドーサとゆで卵とヨーグルトをとってきたのだが、親切なウエイターが卵料理はどうかというのでお願いしたら、皿一杯の具入りスクランブルエッグだった。ちょっと食べすぎた。
8時ごろチェックアウト、内陸のカンチ―プラムへ車で向かった。道の両側に農地というか草原というかとにかく広い、ずっと地平線に向かって走る。時々山羊が道ばたを移動しているので私が写真に撮ろうと騒いでいたら、運転手さんはたくさんヤギがいるところで止めてくれると言ってくれた。

3時間ほど走ってカンチ―プラムに到着。ここ最大のエーカンパラナータル寺院を見学した。白い大きなゴープラム(塔門)を見ながら、沐浴の池のそばで靴を預けて本堂に入った。大きな柱に支えられた回廊を進むと、ヒンズー教徒しか入れないシバ神を祀った本堂がある。本堂の前で写真だけ取って回廊を一周した。
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回廊にはシバ神の象徴であるリンガがズラッと並んでいて壮観。回廊の幾つかの場所に小さい祠堂があってそこは外国人もOKでお祈りをしてくれる。シバ神の祠堂で白、パールバティの祠堂では赤の色を額に付けてくれた。IMG_3474.JPG

祠堂の中庭には、樹齢3500年!というマンゴーの木をみた。甘、苦、酸、辛の味がする4種類のマンゴーがなるという。熟し具合じゃないのかなと思ったりもした。
お昼ごはんは南インド料理、バナバの皮の上に載った。パーラーターとカレーで軽く。
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車に乗ってタンジャブールへ向かう。また、地平線の果てまで広がる畑、草原、所々で放牧の山羊がみられる。5時間くらいかかるという。平らないい道だが、単調といえば単調で運転手さんは大変だろう。夕方近くやっとタンジャブールに着いた。
ホテルに寄らずに直接、世界遺産のブリハディーシュワラ寺へ向かった。入り口には靴の預り所がある。靴を預け、はだしで寺院の門をくぐった。広大な敷地に、大きな寺院が立っていた。1010年に造られた世界一高いシバ神の祭殿。祭殿の一番上の冠石は80トンもあるそうだ。寺院の作り方はピラミッド方式、長い長いスロープを作って、石彫りの柱、彫刻などの部品を象にひかせて引っ張り上げたという。
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ここで目に付いたいたのはルンギ(腰巻スカート)を着けた男性、Aさんの話によると正式には男性はルンギに上半身裸でお参りするものだそうだ。祭殿の前にはインドで二番目に大きいというナンティー像があるが、これも一つの黒い石で彫ってある。
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ヒンズー教徒のAさんは祭殿に入れるので、せっかくだからと祭殿でお祈りしてきてもらって、その間に広い寺院内を歩き回っていろいろな角度から祭殿の写真を撮った。
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日が暮れかかってきたので、赤みがかった陽光が祭殿を照らしてとても美しかった。日が周りの壁に隠れ少し薄暗くなっても、Aさんがなかなか出てこなかったので、ちょっと心配した。靴を受け取って寺院の外に出たらもう暗くなっていた。
夕食を食べてホテルへ。
10月1日(火)
朝、出発前にロビーでAさんを待っていたとき。面白い飾り物がロビーにあることに気づいた。ひな壇のようなものがあり、そこにはヒンズー教の神様の像がたくさん飾ってあったのだ。サラスバティとかシバ神、ガネーシャなどが何となくわかる。下の段には人間たちとか野菜などが飾ってあってほほえましい。夢中で写真を撮っていたら大失敗。Aさんに「これを踏んではいけません」と注意された。ひな壇の前に砂絵が書いてあったのに気が付かず絵を崩してしまっていたのだ。Aさんがホテルの人に話してくれたが、本当に恥ずかしい、気を付けなければならない。
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これは、帰国して「ナヴァラトリ(Navaratri)」という10月に行われる女性の祭、正にひな祭りだということが分かった。
8時半ごろホテルを出て王宮博物館に行った。開くのは9時からなので時間つぶしにAさんがお茶の店で買ってくれたチャイを立って飲んだ。仕事に出かける人たちがお茶の他にパンのようなものを食べていた。
王宮は中庭を囲んで建てられていて、寺院の本殿のような高い建物が目立つ。大きな王様の像やシバ神などヒンズー教の神々の像がたくさん飾ってあった。高い建物に途中まで登り、中庭を見下ろすととてもきれいだった。
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それから、マドライに向かって出発。またまた、空と白雲と緑の草原、畑が地平線でつながる風景が続く。マドライまで5時間以上かかるというが、不思議に見ていて飽きない風景だ。
途中でココナツ売りの店を見つけてストップ。ココナツジュースを買って飲んだ。たくさんの山羊の群れが見えたので、約束通り運転手さんは車を止めてくれたので写真を撮ったがカメラを構えている間に山羊はどんどん遠のいてしまった。
ようやくマドライに着いた。マドライは旧市街と新市街にヴァイハイ川で分かれているが、お目当てのミーナクシー・アンマン寺院は旧市街にホテルは新市街にある。
ミーナクシー・アンマン寺院はミーナクシー(南インドの女神だがシバ神の妻パールバティと同一視されている)とシバ神を祀っている。Aさんのスケジュールでは、毎晩行われる夜の祭事を見に来ることにしているという。中は暗いので夜でも昼でも見え方は変わらないから、とりあえず明るいうちに四つの塔門をじっくり見ようというアドバイスに従って車を降りて寺院の北門に向かった。
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細い路地を抜けると今までに見たどのゴープラム(塔門)より大きくカラフルな塔門が見えた。全部で3000体以上の神像が隙間なく刻まれていて気が遠くなるようだ。北―東―南―西のゴープラムを順番に見て歩き写真をとった。なんと根気よくぎっしり彫刻をしたものだと思う。
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ホテルで休み軽い夕食をとってから、午後7:30ごろまたミーナクシー・アンマン寺院へ。塔門には何本かの電飾が吊るされ部分的にライトアップがされている。中は写真撮影が禁止だ。旅行案内書の写真を見ても説明図を見ても内部の想像がつかないのでワクワクする。
現地ガイドさんと合流、履物を預けて北門から入った。北門からは中庭のようなところに出る。寺の壁の中にはライトアップされた幾つものゴープラムが見える。寺の建物の中と外が複雑に入り組んでいる不思議な建物だ。左に進んで東門のそばから、建物の中に入った。豪華な彫刻のあるたくさんの太い柱に支えられた寺院の内部はまさに異空間。日本の寺院の内部とは大きく違う。でも、異教徒が紛れ込んでいるという気分はなく、受け入れられている感じがするのはヒンズーの神像を見慣れてきたからか、多神教という共通点なのか。シバ神のリンガがある広場の前にシバ神の祠堂がある。ここは、異教徒が入れない場所だ。
そこから、右回りに回廊をまわった。回廊の天井には極彩色の丸い文様が描かれている。壁にもいろいろな像が置かれていたが、あまりにも多く印象がごちゃごちゃになってしまった。雛段飾りがたくさん並んでいる場所、神様を載せる小さい山車のような乗り物が並んでいる場所、細い通路を抜けると空が見える場所に出た。沐浴池だということで池の周りは階段状になっていた。沐浴池の周りを一周するとライトアップされた、シバ神殿、ミーナクシー神殿の金箔が貼られた丸屋根部分が見られた。素晴らしく美しい。
池の傍にミーナクシーの神殿がある。ここも、異教徒が入れない。そこから、また、細い通り道を抜けて回廊にでた。シバ神の広場に行く途中で天井画「リンガの絵」がどちらの方向から見ても同じように見えるという説明があった。
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確かに水が流れる方向が同じに見えた。その絵を大体頭に入れたので、後で書いてみたが、机の上に置いたときと天井画では見え方が違う。意識して描いたのか、後から参拝者が見つけたのか。さすがインド!面白い。
祭事が始まるまで間があるというので、Aさんは、シバ神の祭殿へお祈りに、私はもう一度中を見学に。内部の地図が頭ちゃんと入っているとは言えなかったので、ちょっと不安だったがもう一度沐浴池の夜景を見たかったから。回廊だから同じと思って今度は左回りをしたのが、失敗だった。だまし絵のところに細い通路があったので、そこに入っていくと見たような雛壇や山車が並んでいたが、ちょっと様子が違う。でも、中はつながっているはずと進んでいくと何とか沐浴池にでた。実際は前に来た場所と丁度対角線の位置に出たので、正面にシバとミナクシーの金の屋根が美しく見えたのだが、あとで地図で確認するまで気が付かず、結局、沐浴池を一周して同じ道で戻った。かなり遠回りをしていた。
Aさん、ガイドさんとシバ神殿の前で合流した。スペイン人の団体客10数人も祭事を見に来ていた。更に1時間近く待って10時半ころ、銅鑼とラッパの音が響きシバ神殿の中からもうもうと煙るお香に包まれてシバ神が載った輿が僧侶に担がれて出てきた。そして走るような勢いでミーナクシーの神殿へ。神殿の前で結婚式の楽器の演奏をする。ミーナクシーの足型が神殿の中からシバの輿まで運ばれる。お香がまたひとしきり焚かれ、足形に聖水をかけジャスミンの花をたっぷり盛る。結婚が成立しシバ神の輿は神殿の奥に入る。これで儀式は終わり。朝はこの逆でシバ神は自分の神殿に戻る。これを毎日繰り返すのだそうだ。
この後西門の方へ出て、中庭を回って北門へ、靴を受け取ってガイドさんと別れた。ホテルに着いたのは11時過ぎだったが、得難い体験をした。

10月2日(水)
今日は朝早めに出発して、カニャークマリまで7時間かけて移動するという。気が遠くなるが、運転手さんはもっと大変。また、美しいが単調といえば単調な車の旅。今回も、たくさんの山羊の群れが見えたので、約束通り運転手さんは車を止めてくれた。今回は、山羊飼いの人たちが山羊追いの棒を貸してくれたので、それを持って写真を撮ってもらった。インドの山羊は黒くて体格もよく動きも早いような気がした。
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途中の小さいレストランで食事、昼ご飯はチーズカレーにした。べジの炒めご飯、味付けはもちろんインド風。それとラッシーを飲んだ。街を離れるとトイレが不便、町ではほとんどペーパーはなくとも小さいシャワーのようなものがついているのに。携帯ウォシュレットを持ってきたのに油断してスーツケースに入れたままだった。そのうち慣れるかな。
カニャークマリまでの道では風力発電の風車がたくさん見えるという。確かに、南へ下るにつれてどんどん数が増えてきた。この広い土地にして風力発電が効果的なのかもしれない。しかし、回っていない風車が多い。ちゃんと発電できているのだろうか。風車が見えるたびに写真を撮っていたがきりがなく、途中で飽きてしまった。
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午後カニャークマリに着いた。チェックインをするとすぐに船に乗って近くの岩礁にわたるという。船着き場に行くとあまり離れていないところに二つの岩礁が見え、遊覧船が2隻往復している。遊覧船に乗り込むときに大きな発砲スチロールの救命胴衣を配られた。ちょっとの距離なのにと思ったが、みんなちゃんと身に着けている。私のは留め具が壊れていた。Aさんが自分のと代えてくれるといったが、ご本人が泳げないというので、代えすのはやめて一応肩にかけた。もし沈んだらこれにつかまればいい、まずそういうことはないと思うそのくらいの距離だった。
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小さい方の岩礁には巨大な像が立っていた。タミルの詩人ティルヴァッルヴァルという人の像だそうだ。地球の歩き方にはそこにも上陸できるように書いてあったが、キリスト教徒との対立のため今はそこに上陸できないそうだ。もう一つの大きい岩礁はヴィヴィエーカーナンダ岩、同名の19世紀のヒンズー教改革者が瞑想にふけったことで有名になり、そこに記念堂が建てられて観光地になったそうだ。
ここは記念堂とは言え聖地でもあるので、はだしにならなければならないが、30度近くの気温では岩が焼けて飛び上がるほど熱い。でも、道順を示す白い塗料の上を歩くと幾分熱さが緩和されるのでうまくできているなと思った。階段を上って岩の一番高い部分の建てられている記念堂に登った。中には大きな詩人の像があった。展望台からは、ベンガル湾インド洋ペルシャ湾の3つの海が一望できる。
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Aさんの話によると水の色が少し違うのがわかるそうだが、今日は見たところ普通の海を眺める時と同じ濃い青と少し薄い青で3つの海の色というようには見えなかった。4時には島を出なければならないので急いでボート乗り場に並んだが、そのあとすぐに長い列ができた。並ばずに乗ろうとした人がかかりの人に止められて、最後尾に並ぶように言われていた。並んだ時間と船に乗って対岸に着く時間が同じくらいかかったと思う。
ここは、太陽が海から登って海に沈む町とある。しかし、ホテルでは朝日を屋上で見ることができるが、夕日は海岸までいかないと見られないという。Aさんと海岸までどうやって行こうかと話していたら、ちょうど運転手さんがホテルから出てきたので夕日の話をすると車で行ってくれるといってくれた。ほんとうに、やさしい人だ。歩くと結構な時間がかかる距離だったので、とても助かった。

海岸に着くともうたくさんの人が集まっていた。富士山でご来光を見た時の事を思い出させる光景だ。波打ち際では、服を濡らして波と戯れながら待っている人もいた。私その仲間に入り海水に足を入れたが、そんなに冷たくなく気持ちがよかった。濡れた裾もすぐ乾くような気温だし。太陽が沈み始めると水平線近くの雲の色がどんどん変わっていくので何枚も写真を撮った。雲が多かったが、ちょうど太陽が沈むときに一瞬姿を現し、海に沈んで行くが見えたので、歓声が上がった。
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この海岸には、先の詩人の像にキリスト教徒が対抗して作ったといわれる聖母子の像を載せた小さな展望台があったが、ちょっとここにはそぐわない感じがした。
帰り道は夕日を見た人たちの車で、ホテルまで大渋滞だった。道をよく知る運転手さんが回り道をして何とかホテルにたどり着いた。どこかへ食べに出るのも面倒なのでホテルで夕食を食べた。

10月3日(木)
いよいよケララ州へ。運転手さんによると、今までは道がよかったけれどここからは道が悪くなるので車が揺れるといわれた。確かに工事中の道なども多く、これがそうなのかと思ったが、運転手さんの細心の注意を払った運転のおかげで、快適なドライブだった。
途中、運転手さんの提案であるヒンズー教寺院に寄ってくれた。Aさんと寺院内に入り、ヒンズー教徒しか入れない奥の院。Aさんが受付の人に何か話すと異教徒の私も入れてもらえることになった。暗い狭い本堂への道をお参りの人について入っていった。みなさん、チラッチラッとこちらを見るが、お祈りに専念している。暗いお寺の奥深く、更に小さい暗いお堂の中に、燈明に照らされてシバ神のその子供のムルガン(スカンダ)などが祭られているようだった。軽く手を合わせてから、ほかの参拝の人より早く外に出た。ちょっと緊張した。「外国人が入れるのは、なかなかないことです。たぶん、前世はインドに住んでいてヒンズー教徒だったのでしょうね。」とAさん。私が興味を持ちそうな壺をよく知っていて、いろいろ考えてくれる。

もう一つ、運転手さんのお勧めで、海岸に行くことになった。ヤシの林を抜けて、海岸に出ると! なんて広くて美しい海岸、水平線が180度近く広がっている。海にも砂浜にもごみ一つ落ちていない。そして人はあまりいない。しばらく、波打ち際で打ち寄せる波に足をつけて戯れた。
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何かすべて忘れて、ここにいるという感じ。のどが渇いたので、海岸で売っていたココヤシジュースを買って飲んだ。
景色は徐々に変わり、道路沿いにもココヤシの木が増えてくる。更に道の左右に川か湖のようなものがちらちら見えてきた。いよいよアレッピーのバックウォーター地帯に入る。
広い川にはたくさんのハウスボートが浮かんでいるのが見えてきた。しばらく行ってココヤシなどの林に囲まれた細い道に入り、さらに狭い路地の入口で車が止まった。ここから、歩いてハウスボートに向かった。水辺に出るとたくさんのハウスボートが並んでいた。二階建てのようなものも、小舟のようなものもあり様々。
ハウスボードへのチェックインをしに行ったAさんが困った顔をして帰ってきた。二部屋予約してあったのに、一部屋に他の一組がチェックインしてしまっていたというのだ。ベッドはダブルからシングル二つにしてくれるというが・・。ほかのボートを借りると高くなるかもしれないという。雑魚寝をすると思えばいいから、富士登山の時でも山小屋で雑魚寝だったしそれで大丈夫と答えた。
とりあえず荷物を入れると、昼食が出た。相客は新婚旅行の上品でかわいい夫婦だった。二種類のカレーとカレイの揚げ物ブーリーやチャパティとご飯とサラダ。自己紹介をしながら食べた。新婚夫婦はマドライから来たという。私たちは日本に留学していた時の先生と学生いうことに。
そのあとに、クルーズが始まった。ハウスボートは狭い川から広い湖に出て行った。とても広く美しく写真を撮るのに忙しかった。
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ハウスボートはやがてまた狭い水路に入り、そこで小さなボートに乗り換えた。水郷地帯で暮らす人たちの生活が水路の両側に広がっていた。洗濯や水浴びをしたり、食べ物を洗っている人もいた。ボートはかがまなければならない橋を幾つもくぐりそのたびに私たちは大騒ぎした。

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そうこうしているうちに、新婚夫婦と何となく親しい雰囲気になり、お互いに写真を取り合ったり、ボートの席を替り合ったりして楽しく過ごした。本当に上品で感じのいい人たちだった。
小舟がまた広い湖に出た時きれいな虹がかかっているのが見えた。新婚の二人の門出を祝っているようだった。またハウスボートに乗り込んで湖を回った。途中に魚の販売所があったので船を降りた。クーラーボックスにいろいろな魚が入っていた。私たちはおいしそうなエビを選んだ。エビを買ってまた船に乗り船着き場に戻った。ここで停泊して一晩泊るのだそうだ。クルーズじゃないのかと思ったが揺れないので寝やすいのかもしれない。
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夕食には豪華なエビの揚げ物が出た。後はカレーとサラダと炒め野菜、ブーリー、ナンなど。夕食後Aさんはしばらく食堂で携帯ゲームをするというので私はさっさと寝てしまった。
10月4日(金)
いつもの習慣で5時には目があいた。空が少し白んでいたので、もしや朝日が見られると思って、部屋の外に出た。船を降りるのは、はしごもなくて無理、台所のある方に回ってみると空が赤くなっていた。台所には船の従業員がいたので、彼に頼んで朝日が見られる甲板に出してもらった。朝日を見るのにちょうどいい時間だった。写真を撮っていると、Aさんも起きてきて、シャッターを押してくれた。
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朝食を食べ、新婚のお二人は次の目的地に出発。私たちも9時過ぎにボートを後にした。昨夜雨が降ったらしく、水郷地帯だからか、車のある道までに大きな水たまりができていた。私の靴は水の中でも歩けたのだけど、Aさんは気を使ってくれて、よそのお庭を通れるように交渉してくれた。しかし、ちょうど、バイクのお兄さんが通りかかると彼を呼び止めて、後ろに乗せてくれと頼んでくれた。お兄さんは気軽にOKしてくれて、私たちはらくらく水たまりを超えることができた。ありがとう、お兄さん!
車に乗って、コーチへ向かった。道は相変わらず悪いが、運転手さんは細心の注意を払って運転してくれるので快適だ。コーチに海岸から入り橋を二つ渡った。中の島は軍隊の駐屯地になっているそうで海には軍艦らしいものが浮かんでいた。ホテルは内陸部にあった。夕方食事をしてからケララの伝統的宗教舞踊カターカリナ・ダンスを見に行くというので時間までホテルで休んだ。

ケララ・カタカリ・センターはフォートコーチンの岬にあるので、ホテルから30分くらい車で行き、降りたところから細い路地に入る。細い路地の両側にはチベット風のレストランがあって秘密めいた雰囲気があった。奥まった場所にあるセンターの階段を上ると、あまり広くない劇場があった。お客さんは少なく、前の方の席が取れた。
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出し物の始めはインド空手のパフォーマンス、狭い舞台を目いっぱい使って、目にもとまらぬ技が繰り出される。特に、鞭のようにしなう刀を何本も合わせた武器を使っての戦いの実技には手に汗を握った。最後にお客に護身術を教える出し物があった。若い女性や子供が舞台に登って教えてもらっていた。私は護身術でもないので、一緒に写真だけ取らせてもらった。並ぶと私より小さい方だったのでびっくりした。演技中はとても大きく見えたのに。
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次にカタカリダンスの前の化粧のパフォーマンスが始まった。男の人が二人舞台に座り込んで顔を白く塗り始めた。一人の人は舞台に寝そべると、化粧係の人が紙のひげのようなものを張り付け始めた。若い方の演者やは白塗りをし目の周りにも化粧をすると美しい女性になった。なんで、化粧する場面を見せるのかと思ったが、後で聞くとカタカリは寺院で神に奉納するもので、それは化粧の場面から始まるのだそうだ。ひげを付けたのがインドラの息子、民族衣装なのか大きく広がったスカートのようなものを身に着けているのがどうも見慣れない感じ。
化粧が終わるころになると、急にお客が増え、満席近くなった。化粧を見ないでダンスだけというツアーなどが多いのかもしれない。外国人が多かった。
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ダンスの前に目や手で感情をあらわるという説明があり、説明に合わせて女装した俳優が目を手を動かしてくれた。特に目の動きなど歌舞伎と共通するようなものがある。
話の筋が日本語で書いてあるパンフレットが配られた。悪魔のナクラツンディは、インドラの美しい息子ジャヤンタンに一目ぼれして女性に変身して誘惑するが、受け入れられない。怒ったナクラツンディは、本来の恐ろしい姿に変身してジャヤンタンを攻撃するが結局退治されてしまう。という話だ。見どころは、美しく女装したナクラツンディの誘惑の踊り、変身の早変わりだ。やはり、歌舞伎と似ているような気がする。
踊りが終わったのは8時近くだったので、劇場の傍のレストランで簡単な食事をした。一回ぐらいインドのビールを飲んでみたら?とAさん、自分は飲まないくせに。一応おすすめのビールを注文したが飲みきれなかった。
明日の出発は少し遅い、ホテルの近くでお祭りの飾りが見られる、その飾りは8日の最終日には全部燃やされてしまうとAさん。朝一人で散歩をしてみることにした。

10月5日(土)
Dussehra(ダシェラ)というのはラーマーヤナの話から来ていて、ラーマ王子が魔物のラーバンと戦ってしてシーター姫を救ったという話をもとに毎年10月の始めにラーバンの大きな張りぼてを作り最後の日にそれに火をかけて燃やすのだそうだ。
ホテルの近くでもラーマの像や飾り物のイベント会場があると聞いたので、朝、一人で散歩してみた。会場には門番がいて、中には入ってはだめだというので、会場の周りをぐるり回ってホテルに帰った。まだ、出発までに時間があるので、会場の反対方向へ歩いてみたら、寺院の門のようなものが見えたのだ入ってみると、小さい寺院があった。寺院の門をくぐるとおびただしい数のハトがいる。よく見るとお坊さんのような人がえさを撒いていた。エサはお米のように見えた。
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本堂の前でうろうろしていると、お坊さんが中に入ってもいいという。ルピーの小銭をお賽銭に入れて、シバ神をとたぶんミナクシーを拝んだ。ダシェラだからかラーマとシータの結婚式の絵が飾ってあった。お坊さん?は私の行くところに来て何かと説明してくれたが、最後に「日本円を持っているか」と聞かれた。怪しい?かな。「持っていないと言って、さっさと見学を切り上げた。
11時ごろAさんと運転手さんが迎えに来てくれた。フォートコーチンの岬、そこへ行くのは遊覧船で行き、そこで運転手さんが待っていてくれるらしい。今度の船は救命胴衣もなかった。海風が気持ちよく、快適だった。
船を降りるとそこは、昨日ダンスを見たところの近く。
昼食は昨夜カターカリダンスを見た場所と同じ敷地にあるチベット料理の店で食べた。
水餃子と焼きそば、バター茶。南インドにも沢山のチベット人が住んでいる。
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次は、コチでは定番の観光チャイニーズフィッシングネットを見に行った。チャイニーズフィッシングネット=海中に沈めた網をロープで引き上げるってどういうことかと思っていた。見てなるほど、シーソーなんだ。細長い大小の二等辺三角形に組んだ鉄パイプを底辺で130度くらいの角度で組んでシーソーになるように岸壁に固定、小さい方の先に四角く張った漁網、大きい方の先には沢山のロープ。ロープの先に石をいくつかつけてバランスを調整、何もしないと網は海中に沈み、何人もの人がロープを引くと網が上がってくる仕掛けだった。
仕掛けの割にあまり魚が上がらないなと思っていたら、写真のような大物が!この辺りは観光客相手の出店が出ている。その中には、とれたての魚を買うと向かい側にあるレストランで調理してくれるという店もあった。
次はバスコ・ダ・ガマが葬られた教会、聖フランシス教会。ガマの遺体はのちに本国に持って帰られたということで、今は記念碑だけが残る。白いきれいな教会だが、インパクトは薄い。これに限らず、コーチは植民地時代のヨーロッパ風の建築、教会などが多い。私としてはあまり興味は引かれない。
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次はムンバイでも見たことのある洗濯場。
大量の衣類をアイロン掛けしている作業所では、仕事中の女性がアイロンをかけてみるかと勧めてくれたので挑戦。中に炭が入った重い重い鉄のアイロン。気軽に持とうとしたら始めは持ち上がらなかった。しかし、一度アイロンを滑らすと一度で小気味よいくらいにシワが伸びる。軽いアイロンや蒸気で皺伸ばしをしている身には正に、参りました!としか言えない。
そして、デリーへの飛行機に乗るために空港に向かった。空港で、南インドの1週間を安全運転でサポートしてくださった運転手さんパンダヤさんとお別れをした。また、来るときにはお願いします。
国内線に乗る前に空港で最後の南インド料理を食べた。また、飛行機で食事が出ないかもしれないと思ったからだ。しかし、こんどは、ちゃんと食事が出た。不思議な航空会社だ。
時間通りににデリーに着き空港の近くのホテルにタクシーで送ってもらった。旅ももうすぐ終わりだ。
10月6日(日)
朝10時ごろAさんが迎えに来てくれた。まず、空軍の博物館へ行くという。Aさんの高校の傍にあり、昔から親しんだ場所だそうだ。
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インド空軍で使われた実物の飛行機が展示されていて、マニアには垂涎の的なのだろうが、私が知っていたのはロシア製のミグ戦闘機だけ。建物の外には撃墜されたパキスタンの飛行機の破片が展示されていたり、今の国防と密接につながっている博物館。ごく自然に国防について語るAさんがまぶしく見えた。
次は、映画に行くという。映画館のビルでスタバに入り、軽い昼食を食べてから、「War 」(スーパースターのリティク・ローシャンと若手ながらそのアクションとダンス能力で将来のスーパースター候補のタイガー・シュロフという二大スターの共演)を見た。時々Aさんが解説してくれるがので、何となく筋が分かった。二人のスターのアクションのすごさと、インド映画の定番のダンスシーンは迫力があった。

そのあと、5年前の思い出のオールドデリーへ街の中心部に近づくととお決まりの渋滞が、始まった。インド門を懐かしく見て、ブラ―ナー・キラーに到着。懐かしい。ダシェラの期間だけの劇場を遊園地のようなものがあちこちに設置されていた。
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小さい観覧車をたくさん見たが、その回転の仕方が尋常ではない。ゴンドラがブランブラン揺れながら回るほど。あれには乗りたくないと思った。タクシーを降りて少し歩いた。相変わらず人が多く,城壁の中には入れないので、通りの路地に入り、マーケットの中の食べ物を売る店で、不思議な、いわば「ソーメンアイス」を食べた。そうめんのような細い麺の上にアイスクリームがかかっている不思議な食べ物。Aさん曰くこれが有名な専門店だそうだ。不思議に甘いソーメンがけっこういけると思った。
これからホテルで預けた荷物を受け取り、Aさんの家にむかった。道がとても混んでいて、思ったより時間がかかった。しかも、Aさんの家の周り一帯が道路工事中で家の前まではタクシーで行けなかった。荷物を降ろし、少し歩いて懐かしいAさんの家についた。日曜日だったのでご両親も妹さんも一緒に出迎えてくれた。お母さんは少し病気をされたそうだが、お元気そうに見えた。今回も、飛行場が見える3階まで上がって、お家の中を見せてくれた。壁を塗り替えたそうで、とても、明るくきれいになっていた。
始めにお茶とお菓子をいただいて、食事はお母さん手作りのおいしいカレーとごはんをいただいた。そのあと、お母さんと色々な話をしているうちに、サリーを着ないときはワンピースのようなものを着るという話になった。手作りで作られるそうだ。わたしも、着物で袖なしのワンピースを作る話をしたら、その生地をくださるという。 薄くて肌触りのいい、夏のワンピースにいい生地なのでありがたくいただいた。また、お土産として30センチくらいの高さの金属製の仏像をくださった。スーツケースの重さは何キログラムですかと、日本を出る前にAさんから聞かれていたのはこれだったのだ。日本へ帰ってから調べると、ヒストリー仏陀といわれる、仏陀の衣にその一生の出来事を表す絵が刻まれている面白いものだった。
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9時過ぎのA さんのお宅を後にしてタクシーで空港へ向かった。空港の入口までAさんが送ってくれた。本当に、安全安心かつエキサイティングなインドの旅だった。Aさんありがとう。

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シッキム・ダージリン紀行⑦ダージリン→デリー 帰国の途 [旅行]

3月21日(火)
今日は帰る日。おしゃれなメニュー表も写真に収め、きれいなホテルの庭を写真に収めた。出発する時、ホテルの支配人の女性が送ってくれたので一緒に写真を撮った。この方は、食事のたびにあいさつに来てくれていた。
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車に乗って、また、山越えが始まった。初めの山の頂上で車を止めてくれた。ヒマラヤの山が見納めだという。昨日の朝見えなかった分、車を降りてしっかりと見て写真を撮った。
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山越えをしながら下っていく。両側は茶畑だ。途中で茶摘みをしている人たちがいた。アシッシュさんは私たちがお茶に興味を持っていることを知っているので、車を止めてくれた。中に入っていってもいいと言われたので「ナマステ」といって茶畑に降りていって茶摘みの様子を見せてもらった。ベテランの方が素早く茶の新芽を摘み取っている様子をビデオにも収めた。
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山を下って、シリグリの街が近くなった、平地の茶園はまた広大だった。スプリンンクラ―が回っていた。でも、茶摘みは人力だということで、どのくらいの人が出るのだろう。茶の葉も日本のより大きかった。
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その後軍事基地を抜けていくので写真を撮らないように言われた。基地らしい建物は少しであとは森のようだったが。アシッシュさんが象を見つけた。運転手さんがわざわざ車を返してくれた。親子の象が森の奥に帰っていくところが見えた。アシッシュさんの「野良の象です」という言い方がおかしかった。「野生の」だろう。

飛行場でガイドさんと運転手さんに別れを告げて、14:00発のスパイスエアに乗り込んだ。飛行機の中の食べ物は有料なのでジュースだけを注文した。

16:00無事にデリー着。でも、デリーについてからが大変だった。ターミナル1に着いたが国際線はターミナル3スパイスエアとJALは接続がうまくない。アシシュさんがタクシーを手配してくれたが、小型車がきたので、結局2台に分乗してターミナル3に向かった。それが結構遠くて乗り継ぎの時間が少ない人はどうするのかと思った。分譲させて心細い思いをさせたかもとアシッシュさんはとてもすまながっていた。いえいえ、市内のタクシーぐらい一人で乗れますから。
時間があったので空港の喫茶室でお茶を飲んでアシッシュさんとお別れをした。彼のお陰で今回も本当に安心安全な旅ができた。


空港で最後の買い物をして飛行機に乗り込んだ。20:20デリー発 JAL740
飛行機は予定通りに出発、帰りは偏西風に乗るので早くなる。映画を少し見てあとは眠ってる間に成田についた。
3月22日(火曜日)
楽しい旅行でした。成田で解散。

シッキム・ダージリン紀行⑥ ダージリン [旅行]

3月20日(月)
4時に車が迎えに来てくれた。私たちは、できるだけ暖かい恰好をして車に乗り込んだ。
ガイドさんの話では、タイガーヒルは行く人が多くて道路が混雑するので、別の高台に案内するという。お任せするしかない。曲がりくねった狭いダージリンの市内を抜けて山を登って行くが周りが暗くてどうなっているのかわからない。着いたと言われてしばらく車の中で待機するように言われた。
ガイドさんは近所の家?売店?から熱いマサラティーをもってきてくれた。寒いのでありがたかった。少し空が白んできたので、車を降りて坂道を上ると、山頂にマサラティーをくれた家があった。
周りの様子がだんだん見えてきて見晴らしのいい高台であることがわかった。上空は晴れていて三日月が見えるが遠くの山は雲がかかっていて見えない。私たちの他にも通の人たちの車が4,5台停まっていてカンチェンジュンガを待っていた。しばらく待ち、空がだいぶ明るくなったが山を見るのは無理なようだ。
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高台を回ってみると廃墟のようなものがあった。ガイドさんに聞くと植民地時代の郵便局の跡だという。ホテルにしてもここにしても見晴らしがよく平らないい土地をイギリス人は確保していたのだろう。
最期まで粘ったが、カンチェンジュンガを見ることは無理だと分かったのでホテルにもどって朝ごはんを食べることにした。

明るくなるとホテルの様子がわかった。古いかわいい家が並ぶ小さな村のようなホテルだ。花壇にはきれいな花が植えてあり小さいイングリッシュガーデンになっている。でも、ここも庭のはずれまで行くと切り立った崖になっていてやはり山の中の街なのだと思う。
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朝ごはんは洋食だった。コーヒーに美味しい食パン、コーンフレーク、オムレツ、果物などでちょっとインド料理に一休み。
今日の予定はまず8:50のトイトレインにのることだったので、駅に行ったが、その電車は運休になっていた。アシッシュさんが別の時間を予約してくれている間に、私たちは駅を動き回っているトイトレインの写真を思いっきりとった。驚いたことに駅のホームは線路とほぼ同じ高さ、線路に降りて歩いたり機関車に載って写真をとったりすることも自由だった。犬も汽車が来るまでゆうゆうと線路に寝ている。
機関車が動く動画もたくさん撮れたのでいい記念になった。
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11時の電車に乗る前に、先にチベット難民センターへ行くことになった。中国によるチベットの支配から逃れてきた人たちに仕事と住む場所を提供している場所だ。門を入るとバスケットボールの小さいコートがあり、他の建物は山の斜面を這い上るように並んでいた。
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コートの傍に羊毛を紡いで糸にして染め、絨毯やスカーフなどと作る作業場がある。「ナマステ」とあいさつをして、働いているところを、見せていただいた。年配の人が多いのは、若い人はカナダなどの外国へ新しい生活を求めて出ていってしまうのだという。何ともつらいことだ。私たちのせめてできる事・販売所でスカーフなどを買った。アシッシュさんは前に一緒にインドに来たが、今回は病気で来られなかったIさんにとスカーフをプレゼントしてくれた。やさしい人だ。

トイトレインの時間が迫るが、道路が混雑してたどり着かないので、途中で車を降りて歩いた。ガイドさんの案内で坂の街の裏道をくねくね曲がりながらどんどん下る。
ここで暮らす人は大変だなーと言いながらひたすら歩いた。家々にはカラフルな洗濯物がかかっている。そういえばこちらの人たちは雨でも洗濯物を家に取り込まない。シッキムで雨の道を走った時もあちこちの家で洗濯物が外に干してあった。濡れてもまた乾くといったところだろうか。
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トイトレインにやっと乗ることができた。2両編成。座席は狭いバスのようだ蒸気機関車が前方についているがなんと後ろ向きについている。ギアを切り替えればどちら向きにも走れるそうで、街に入ってい来るときは前向き出ていくときは後ろ向きなのだとか。本当?ターンテーブルもあるのになぜかよくわからない。
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トイトレインが汽笛を鳴らしていよいよ煙をもくもく吐きながら走り出した。ドアが開いているが気にせず走る。とても遅い!街の中を車や人をかき分けて進むのだから。商店の店先をこするようにして走るので窓を開ければ買い物ができそうだ。

途中で電車のタラップに人が飛び乗ったのでびっくりしたが、車掌さんがさっとドアを開けて彼を入れた。関係者らしい。街を出たあたりで別のトレインが見えてきた。しばらくするとストップして石炭か水を積んでいるようだ、そして、何とそのトレインと結合して走り出した!
山道をどんどん登って行く。線路は崖際を走ったり山側を走ったり、崖際を走るときはガードレールもないのでちょっとこわい。走っているうちに雨が降り出し、途中の観光写真を撮る駅では土砂降りになり雹も少し混じった。
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この駅では後ろから来たディーゼル車と結合した。前の汽車はいつの間にかいなくなっている。自由自在だ。ディーゼルはシリグリまで行くが汽車は次のGhoomまでで引き返す。
Ghoomについて鉄道の博物館で昔の写真などの展示物を見た。昼時だったのでそこの食堂でスープめんとマサラティーの昼食。

私たちは往復切符を買っていたが、そこからは、迎えに来てくれた車に乗って動物園へ。
山が丸ごと動物園で広い。但し動物のいるところはすべて斜面になっているので檻の反対側を見ようとしたら延々と坂道を登って一回りしないと見られない。動物園からは街の反対側の斜面が見える。大きな谷だ。
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しかし、ここへは動物を見に来たのではなかった。動物園の一番高台にHimarayan Mountaineering センターがあった。ヒマラヤを発登頂したヒラリー、テンシンの像が広場に飾られている。建物の中には山の模型があった。シッキムのガントク、ペリンの場所を確認してあの長時間の山道ドライブが納得できた。他には登山道具や登山家の写真や資料。田部井淳子さんの写真と登頂成功の新聞記事がちゃんと飾ってあってうれしかった。

ホテルに一度戻った。それから、ダージリン出身であるガイドさんにいいお茶を売っている店に散歩がてら、案内してもらった。お茶屋さんはホテルのすぐ近くにあった。うれしいことにファーストフラッシュの出荷はもう始まっていたので、10種類くらいのお茶をテイスティングさせてもらった。
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ファーストフラッシュは色も薄い緑色で日本のいい煎茶のようだ。私にはちょっと物足りない。お土産には高価なファーストフラッシュ、自宅用にはミルクティー用のセカンドフラッシュを買った。

ガイドさんと別れ、アシッシュさんと一緒にさらに市場をのぞいて歩いた。本屋に入ったり、トウモロコシを買って食べた。
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午前中にスカーフなどを買ったので、とくに買いたいものはなかったが見て歩くのは楽しかった。市場の外れに来たので引き返そうかと思ったが、まだ食事には間があるの一回りすることにした。その一回りがかなり長距離で、しかも山の中のような道、途中で暗くなって少し後悔したが、アシッシュさんが一緒なので心配はなかった。
みんなで一緒の夕食はこれで最後なので記念写真を撮った。
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シッキム・ダージリン紀行⑤ダージリンへ [旅行]

3月19日(日)
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昨日より少し雲が多かったが、それがバラ色に輝いてまた別の美しさだった。ずっと見ていたいくらいだったが、今日はダージリンに移動するので、朝食後8時ごろ車に乗り込んだ。
ホテルの近くにあるPemayangtse 僧院を見学していくことになった。入り口には仏教を象徴する法輪と鹿のシンボルマークがある。
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ペマヤンツェとは「崇高なハスの花」を意味し、古さと格式を誇るニンマ派の僧院だ。左の小さい建物には直径1mあまりある巨大なマニ車が置かれている。本殿はブッダ,グル・パドマ・サンババ,弥勒菩薩や明王のように見える極彩色の像が並び、壁にはやはり極彩色の密画がぎっしり描かれている。3階に納められている7段式の立体マンダラは、鮮やかな彩色が施され、非常に素晴らしいものだ
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。この大きな立体マンダラは、ここの僧が一本の大木から7年かけて造りだしたと説明された。曼荼羅の周りには密画がびっしりと書かれている。何枚かの密画は布がかけられている。布をあげて見せてくれたのは歓喜仏。性的な結合は、もっとも高いレベルの悟りの境地?という思想がチベット密教にはある。女神の姿がレベルアップするごとに人ではない恐ろしい形相に変化していく。空海の持ってきた密教の教え理趣経にそのような記述があるにはあるが、日本の仏教との相違点だと思う。
その寺を出てしばらく行くとバナナの露店があった。ガイドさんが買ってきてくれたので、みんなで分けて食べた。太くて短いバナナで甘みは薄いがおいしいバナナだった。
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道は先日ガントクから着てお茶を飲んだところを通り過ぎると右折して南下しNamchiをめざしていく。平らな所はなく、上りか下りの道しかも舗装がところどころはがれて穴が開いている。穴に近づくと運転手さんはスピードを緩め、できるだけショックを避けて運転してくれている。そのお陰で、誰も車酔いせず山道を踏破できたと思う。
Namchiでは、シッキムの守護聖人まずPadmasambhava のお寺に行った。お寺の参道を登って行くとお経がスピーカーから流れて来る。パドマサンババの真言オンマ・フン・ベンザ・グル・ペマ・シディ・フン」だそうだ。観光案内にも大きく載っているのでおもしろそうだと思ったが、この町の有力者の議員さんが2004年に作った新しい像だった。宗教施設としてはまだまだの感じだが、ダージリンからも見えるというその大きさは圧巻だった。
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ナンチではもう一つの山頂にある同じ議員さんが作ったシバ神の宗教施設というかテーマパークのような所へ行った。ここからもパドマサンババの像がよく見える。それに負けないくらい大きいシバ神の像、リンガを祭る社いろいろな様式の社、南インドの建築を再現したものはカラフルだ。ここは、子供連れも多く、どうしても、ディズニーランドを思わせる。ここで、昼食、カレービュフェのようなものと焼きそばを頼んだ。焼きそばはカレーを一休みしたいときにいい。
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更に山を越えてダージリンに向かった。高い山を下ったと思ったら橋を渡って又高い山を登る。急角度の登りとヘアピンターンを繰り返してあっという間に高度が変わっていく。下を回る道はないのかしらと文句を言いたくなった。
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シッキムとダージリンの境Melliで出境手続きをして、橋を渡った。行きの場所より西南方向だ。ダージリンに入ると気が付くと両側に茶畑が見えてきた。その中の一つに降りてお茶の新芽を見た。これがファーストフラッシュになる。
飽きるほど走って暗くなってから、ダージリンの街に入った。斜面に張り付いた4階建てぐらいの家が並んでいる道路が続く。舗装道路の脇に電車の線路がある。これがトイトレインだと言われた。本当に無造作に道路に線路がひいてあって、その上をひとや車が平気で通っている。メンテナンスなんてしていないような??市電のような感じ?さらに進むと、鉄道の駅があった。かわいい小さい蒸気機関車がたくさん車庫に入っていた。そこを通り過ぎ狭い道を登って行く。家がなくなって、植え込みが続いたと思ったら門衛さんがいる小さな門があった。そこを通りぬけ狭い道をさらに上ると、急に平らな所に出て、かわいい英国風の家が庭にいくつも並んでいた。ここがWindemareホテルだ。チェックインをかわいい建物の小さいカウンターで済ませると、私たちは暗い庭の一番奥の2階建ての建物に案内された。アシッシュさんが同じ棟部屋なので心強い。
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部屋に入ると暖炉が燃えていた。本当の石炭の暖炉。途中で消えるけれど部屋は暖かい、湯たんぽもあるのでよかったらどうぞとボーイさんが言うので何ともレトロな感じのかわいい湯たんぽを入れてもらった。
イギリスの支配していたころに作られた建物や調度品をそのままできるだけ変えないで使っている。お風呂場には映画で見る猫足のバスタブがあった。
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夕食のために食堂のある建物に行った。この地方の民族衣装を来たボーイさんがサーブしてくれた。
イギリス風のメニューとカレーとデザートが出た。
夜は結構冷え込んだが、本当に暖炉の火が白い灰になっても部屋は暖かく、湯たんぽのおかげでゆっくり眠れた。明日は4時起きでタイガーヒルに上って、再びカンチェンジュンガを見る予定。


シッキム・ダージリン紀行④ペリン [旅行]

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ガントク ペリン ダージリンの地図 近いように見えるが、山をいくつも越えるので実は遠い!

3月18日(土)
朝空が明るくなったようなので、カーテンを開けると、見事な光景が広がっていた。顔も洗わないまま、庭に出た。カンチェンジュンガを含むヒマラヤの山並みが、薄明るくなった空に浮かんでいる。雲が流れたり右の方角から差してくる朝日で山の様子が刻々変わっていくのがすばらしく、うっとりながめたり写真を撮ったりで忙しかった。ずっと見ていたかった。
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朝食後、観光に出かけた。まずは、Darap Villageへ。ここでは車を降りて、村を散策した。典型的なこの地方の農村の様子、きれいに整備されていて、ホームステイなども体験できるらしい。映画の撮影がちょうど行われていた。学校からは子供たちのきれいな歌声が流れて来た。毎朝国家を斉唱するそうだ。
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山が大きいというのは別として木の種類や草の種類が似ているので日本の山村を歩いているような感じがした。
村はずれで又車に乗り、Rimbi滝へ、これは滝つぼまで下りられたが、あまり迫力はない。雪解けが始まると水量も増えるのだろう。
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次に向かったのはKhecheopalri湖。アシッシュさんがいうには、ここで願い事をするとすべて叶うと言い伝えられているそうだ。
湖への参道の始まりに、部屋いっぱいの大きさのマニ車を祭っているお堂があった。靴を脱いで上がり、マニ車を回した。「オムマニペメフム」
湖はあまり広くない。湖に延びる屋根のある橋の両側にマニ車が取り付けてあり、それを回しながら渡り、回しながら戻るのだそうだ。
湖に突き出したお祈りの場所にはたくさんのカタがはためき、お供え物を置きながら、多くの人が祈りをささげていた。わたしも、旅行の安全を祈った。
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参道の道の脇には水を流す溝が掘ってあるが昨日の雨で砂利がたまっている。ここでも、たくさんの人たちがスコップで砂利を取り除く作業をしていた。雨のたびに繰り返す作業で大変だと思う。長く続く山道のあちこちでスコップ片手で砂利の除去作業で働く男女をみた。この広さと山の奥ということで全部の道を完全に整備することはできない、最後に頼るのは人力なんだという気がしてきた。
湖の入口の売店では、マニ車をかたどったペンダントと何故か日本の5円玉に紐を通してペンダントにしたものが売られていた。日本人の誰かが、お賽銭に「ご縁があるように」と5円玉を入れるという説明をしたからなのだろうか。不思議だ。マニ車のペンダントを買った。

最期に行ったのはKanchenjunga滝。カンチェンジュンガからの急流が滝となって落ちているので勢いが強く水量も多い。アシシュさんに言われて滝を受け止めるポーズで写真を撮ってもらった。
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ここでは滝の入口で、ロープでの谷渡りをやっていた。
あまり高くないし、子供を抱えた人がやっているので、できるかも。アシッシュさんに相談してみると、「大丈夫です。やりましょう」という。ちょっぴりドキドキしながら列に並んだ。アシシュさんは先に渡って、みんなの写真とビデオを撮ってくれるという。留め具をはいてそれを谷に渡したロープにひっかける。そこをつかむように言われたので、しっかりつかんで飛び出したが、途中で手を広げてと言われた、写真ポイントらしくロープの動きもストップする。おかげさまで、みんな元気ないい写真がとれた。
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2時ごろホテルに戻って遅い昼食をとり、その後ホテルの中を散策した。山の方は雲がかかってきて、朝ほどの見晴らしはよくないので、ホテルの庭を散策した。広く見えたが、急な斜面に作られているため柵の向こう側は切り立った崖で落ちたら大変だ。(木が生えているので怖い感じはないが)歩きまわれる場所はあまりない。
インドには犬が多い。野良犬のような飼い犬のような微妙な感じ。どの犬もやさしい顔をしているが、所かまわず寝ていることが多い。ホテルの飼い犬ラッキー?は他ではあまり見ない大きな白い犬だった。動きは日本の犬のようで人間にじゃれてくる。犬の好きなアシッシュさんは犬といっしょにポーズ。
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夕食まで時間があったので、持ってきた抹茶をロビーで点てて飲んだ。そして、アシッシュさんにお点前を教えた。なかなか上手に薄茶を泡立てていた。味も美味しいと言っていた。
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その後、前にアシッシュさんのお母さんに頂いたサリーを持ってきていたので、着てみることにした。布を巻き付けて着るというのは着物に共通するものがある。何となく様になるように着られたと思ったのでロビーで写真を撮った。サリーは私たちには珍しいが、ここでは珍しくないので、ホテルの人に注目されることもなく、のんびりと写真を撮ることができた。
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夜は又星が見えたので朝の山並みが期待できる。

シッキムダージリン紀行③ガントク→ペリン

3月17日(金)
天気が悪い。この時期の天気ではないという。いろいろな所で気候変動の話を聞く。
朝食を済ませ、荷物を車に積んで出かけることになった。

昨日のように車の上にスーツケースを載せようとしている運転手さん。Tさんが機転を利かせて、座席が3列あるので、荷物を全部後部座席に積んで、少し隙間がある後部座席に一人が載ればいいと提案した。この後ひどい雨に遭うのでこれは素晴らしい提案だった。
この地図はガントクの観光ルート。
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雨の中、山道を進みGangtokの街から少し登ってBakthangfallを見た。迫力としては日本の滝の感じ。
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次に市内のEnchey Monastryをみた。本堂に向かう参道は高尾山の参道を思わせる。違うのは五色の祈祷旗タルチョー(チベット語:དར་ལྕོག་ dar lcog)五色の順番は青・白・赤・緑・黄の順に決まっており、それぞれが天・風・火・水・地すなわち五大を表現するという。
又、摩尼車がずらっとならんでいる。ガイドさんは「オムマニペメフム」と言いながら回すと教えてくれた。回すとお経を読んだことになるという。
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本堂にはチベット密教の極彩色の世界、様々な形の像が並び壁には一面に仏画が描かれていて迫力があった。
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2011年シッキム地震で谷側の建物が壊れた。現在復興中であるということで、手作業で土や砂利を掘り起こしていた。この手作業は、これから、あちこちで見ることになる。
このお寺の門の向かい側にはシッキム放送局の大きな電波塔があった。門前の喫茶店件お土産物屋でチャイを飲んで一休みした。
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雨が降ったりやんだりの天気だが、移動は車なのであまり気にならない。次に行ったDo-Dul Corten は白いストーパが目立つお寺。それを目指して上る参道の傾斜はかなり急だ。
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ストーパの周りにはマニ車があり、修行僧が暮らす建物もある。後ろの方にろうそくが何十本もともっているお堂があった。何か祈願したいことがあるとき、お布施を出してろうそくをいただいて立てるのだそうだ。

せっかく上った参道の坂道を下り、反対側の坂道を上るとそこはチベット学の研究所、仏像や仏画がぎっしりと並んでいる。仏像が印の形でまとめて並べてあったり、ゆっくり見れば面白そうだ。2階には仏教関係の蔵書がぎっしりしまわれていた。不思議だったのはそこにろうそくの火で回るまわり灯篭のようなものが飾ってあったこと。火気厳禁だと思うのに。

今日はペリンに向かうので、途中まで昨日来た道を引き返した。途中のレストランで昼食。右上のタンクが給水タンク?
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Simgtamの分かれ道で、更に険しい山道に入る。雨がひどくなり道幅が狭いので、車の右側の座席に座った人はの崖から落ちないかと心配だったそうだ。特にめったにないすれ違いの時など、結構スリルがあったそうだが、私は後部左側座席に座ったせいもあって、居眠りしてしまい気持ちよく過ごした。

ガイドさんが開店準備中のカフェを知っていて、そこで暖かいマサラティーをいただいた。趣味の良い作りのお店で、開店したら旅行者に人気が出ると思う。ティーの作り方を見せていただいた台所も清潔に整頓されていて、石炭ストーブの傍で飲んだお茶はとてもおいしかった。
元気が出たところでまた一走り。山道を登って行く。Pemayangste 山の頂上にあるホテルThe eling Mount Mandinに到着した。
出迎えの白いカタをかけてもらい、チェックイン。クラシックな雰囲気の素敵なホテルだ。みんなの部屋も隣同士で心強い。
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夕食後、雨も止んだようなので外に出てみると、何と満天の星空だった。オリオン座が頭上に見える。ホテルの人が「星がよく見える時は朝カンチェンジュンガがよく見える」と太鼓判を押してくれたので、翌日を楽しみに寝た。



シッキム・ダージリン紀行②デリー→ガントク

3月16日
快適な部屋で、飛行機の疲れをとることができた。
7時過ぎに朝ごはんを食べた。ビュフェスタイルの朝食、パンと果物とヨーグルトなどが目についたのでそれをたっぷり頂いた。このホテルは洋食風なのかなと思ったのだが、やはり奥の並びにカレーなどインドメニューもあった。

8時にアシッシュさんが迎えに来てくれた。空港への道はとても混んでいた。デリーの大気汚染もひどいらしい。曇りということもあって景色もかすんでいた。
空港の待ち時間にトイレに行き、前回も笑ってしまった、男女表示を友人にも紹介した。本当に美男美女だ。
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いよいよバグドグラ行きの飛行機に乗り込む。Spicejet AM10:55 席も狭いし機内サービスも有料だが2時間くらいのフライトなので問題はない。あっという間にバグドグラに到着。
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空港にはこれからお世話になる、ガイドさんと運転手さんが待っていてくれた。眼鏡をかけたガイドさんは日本人のような顔をしていて親しみ深い。運転手さんは後ほど超ベテランということがわかる。我々3人にインド側スタッフが3人申し訳ないような・・・。
駐車場に赤い粉を振りかけられた犬がいた。昨日は春の訪れを祝って色水や色粉をかけあうホーリー祭だったそうで、その名残らしい。インドの犬はどれも諦観したような顔つきでおとなしい。
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車に荷物を積み込むのが大変、あまり大きくないので、アシッシュさん含めて3人分のスーツケースを入れられない。このあたりに車は車の上には荷物置きがついていて入りきらない荷物を載せていくらしい。結局私のとYさんの荷物が上に載せられた。

街(たぶんシリグリ)のレストランで昼ご飯を食べた。おしゃれなレストランでカレーのほかにガイドさんが(名前が?)頼んだ焼きそばが美味しかった。
この焼きそばにはこれから先もお世話になることになる。

だんだん山道になってくるがところどころに街がある。この街はTeesta? 店やレストランが多く路上駐車で道が狭くなっているところを通りぬけTeesta河を左に見ながら、すれ違いがやっとの道路をどんどん登っていく。
曇りで少し雨も降りだし、道も暗くなってきて心細いところだが、ガイドさんにお任せでビデオをとったりおしゃべりをして過ごした。

シッキムの州境Rangpoのチェックポストに着いたときは日が暮れていた。用意していた写真とパスポートをガイドさんに渡してから、私たちはのんびり写真を撮ったりして待つこと10分くらいで入境許可証をもらった。
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更に暗い山道を登って行くと突然立派なホテルが出現してびっくりした。RanipoolのMayfairホテルだ。
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ロビーに入ると受付の人がホテル名が入った白いカタを歓迎の印でかけてくれたので、こちらも「ナマステ」とあいさつ。入口には仏陀の像が飾ってあるし、やはり、チベットに近いのだと感じる。
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部屋割りで私はまたも104だったが、もう知らん顔をしていた。山の急斜面に建てられたホテルなので、エレベーターで昇った先が1F(日本の一階がグランドフロアだから、当然なのだけど)そこから階段で2階分くらい上がった先が私の部屋だった。私が部屋に向かうとボーイさんが少し後ろをついてきた。何か変な感じがして早く部屋に入ろうとしたがカギがうまくあかない。するとボーイさんが飛んできてニコニコしながら開けてくれた。
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このカギに苦戦する人が多いのでボーイさんがついてきたものらしい。高級ホテルなんですけど・・・こんなところが面白い。とても広い部屋で一人ずつ泊まるのはちょっと寂しいくらいだった。


シッキム・ダージリン紀行 ①デリー [旅行]

3月15日
JAL749 11時45分成田発の飛行機から旅は始まった。
9時間半の飛行だがJALの快適なエコノミーの席のおかげで4本映画を見たり、うとうとしているうちにデリーに着いた。

空港にはアシッシュさんが迎えに来てくれていて一安心。
タクシーに乗ってホテルに向かう。空港のそば、反対側だというのだがぐるぐる回っているようでなかなかつかない。30分も走ったかというところで、ホテルに着いた。Vianta by in Dwarka とてもきれいなホテルでインド初の友達にも問題ない。
部屋割りが決まるとわたしの部屋は404号室、うっかりインドでは4号室気にしないのよねと言ったばかりに気にしないからいいといったにも拘らず、アシッシュさんは「そうでした。日本では4はよくないんですよね、替えてきます」と512号室に替えてきてくれた。
荷物を部屋に置いてから、アシッシュさんの家に夕食をよばれにいった。
おととしの結婚式以来だったが、お母さんと妹さんが温かく迎えてくれた。お父さんと奥さんは出張中だった。
まず、チャイと甘いお菓子が出た。食事の前にお菓子を食べるのだそうだ砂糖水に付けたスポンジケーキのようなお菓子、焼き菓子も美味しかったがとても甘い。
一通り全部のお菓子を少しずついただいた。
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チャイは妹さんが入れてくれたのだがとてもおいしく、みんなお代わりをした。台所で作るところも見せていただいた。温めたミルクに濾したお茶を入れて香料を加えていた。
そのあと、お母さんの自慢のカレー。とても優しい味で食べやすかった。アシッシュさんがお母さんに辛くしないように、何度も言ってくれたからだと後でわかった。
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豪華な結婚式のアルバムも見せていただいた。新郎新婦の美しい姿だけでなく結婚式の様子がすべて詳しく収められていた。私もあちらこちらに写っていたのでびっくりした。
アシッシュさんの結婚式に出たお返しだということでお母さんがお金の入った包みをくれた。
ルピー札のほかに1ルピーのコインが入っていた。
1が縁起のいい数なので必ずお布施やお祝いには入れるのだそうだ。私は彼の結婚式には日本円で渡したが、1円を入れなかったなー、日本円だったからいいか!?
帰る時、お母さんと妹さんは家の入口の前に立って、ずっと手を振ってくれていた。日本人と同じだなあと思った。
ホテルに戻ったのは11時半近く、シャワーを浴びて寝た。

インドの結婚式5 [旅行]

11月29日
今日は最終日でデリーの街を少し見物する。昨日ガイドさんに、まだ行ったことがないロータステンプル、イスラム寺院とスーパーマーケットでの買い物を提案したら、時間が余ると言われたので、インド映画鑑賞を付け加えておいた。本当に見る時間があるのならラッキーだ。
ホテルの食堂で朝食をとっていると黒い顔色できちんとスーツを着た礼儀正しい紳士に英語で話しかけられた。
お国は?とかインドに来た理由など、お決まりの会話だ。私は顔色からてっきり相手がインドに人だと思っていた。しかし、話してみると彼はエチオピアからトヨタの講習会に来ているという。また、彼の仕事は「ジュなんとか」で東京の○○の展示会にも行くというが○○は車ではなさそうなので、聞き直した。実は「ジュエラー」つまり宝石販売人だった。エチオピアの特産のオパールをインドや日本に持って行って売るそうだ。インドではジャイプールでルビーを買い付けるのだとか。
それなら、トヨタの講習って何だろうと思って聞くと「kaizen」の講習だという。ふーん、トヨタの改善は「改善活動により、作業者の知恵を生産設備に織り込むことで、同じ設備を使う他社に差をつける」というものだ。宝石販売にどのように関係するのだろうと思った。兎に角「kaizen」は国際語なんだ。


ガイドさんが来る前にアシッシュさんが、結婚式の引き出物といったお菓子を持って挨拶に来た。3日間不自由がなかったかと聞くので、皆さんがかわるがわるきて話しかけてくれたし珍しいことが多くて面白かったよと答えた。彼らは明日から一週間シンガポールに新婚旅行にいくという。朝の紳士の話をすると「まず、外国人に注意するように。何の仕事かわからないですよ。あとインドでは勝手にトヨタとかスズキと付ける会社があるのでそれも本当のトヨタがやっている講習じゃない可能性もあります。」と言われてしまった。
お互いに、またインドに来てください、日本に来るときは連絡してくださいなどと言って別れた。ホテルの清算は彼がやってくれた。

ガイドさんがタクシーをチャーターして迎えに来たので、スーツケースを積んで出かけた。まず、最初にロータステンプルへ、道はとても混んでいる。月曜日なので中に入れないということで、撮影ポイントで写真だけとった。きれいだが、入れないのはつまらない。
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次にオールドデリーに向かい前にオートリキシャで行ったラールキラーを外から眺める。ここも今日は入れない。道がオートリキシャや人でものすごく混んでいて、車で通るのは悪いような感じ。その中を抜けてジャマ―マスジッド(イスラム寺院)に着いたが、お祈りの時間ということで異教徒は入れないという。込み具合と時間を見計らって案内してほしかった。
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これでもう3時間半以上かかっているので、映画鑑賞なんてとんでもない。では、スーパーマーケットへ行こうということになったが、連れていかれたのはカーンマーケットという高級品の多い旅行者用のマーケットだった。空港のマーケットの方がいいと思った。今日はお腹がいっぱいなのでスイーツだけでいいと告げてファストフードショップのようなところで甘いニンジンのガジャルハルワを食べた。人参だけど確かにスイーツだ。

6時ごろ空港に送ってもらって、ガイドさんとお別れした。運転手さんにチップをあげてくださいと言うのはインドのガイドさんのお決まりだ。必ず運転料にプラスして払うものらしい。ちょっと変な感じがするが。

空港の象の親子の像にまた会えた。チェックインをすませ、空港のインディアンマーケットで最後のお土産を買ってインドルピーを使い切った。
免税店には中国人の旅行者が多かった。よくニュースなどで流れるように、騒々しかった。昔は、ニイハオといわれて、まあいいかとにっこりしていたが、これだけうるさいと、ニイハオと言われた時、関係ないのよ言いたくて、つい無視してしまった。
お客によってそれぞれの言語を使い分けて対応している店員さんがいたので、聞いてみると「英語・日本語・中国語・韓国語・フランス語・ドイツ語etcといっていた」すごい!
夜中の1時過ぎに搭乗した。初め寝ようと思ったが、見てなかった映画を見始めた。
今回も面白い旅行だった。インド大好き。

インドの結婚式4 [旅行]

11月29日
夜明けが日本より遅い。7時近くにならないと明るくならない。朝食はバナナとザクロと部屋にあった紅茶で済ませた。何度も地下鉄の駅までの道順を確認し、iPadのグーグルマップを写真に撮って接続が切れて見えなくなった時に備えた。地下鉄はきれいで快適、女性専用車両もあるというので、安心して乗れると思った。2時くらいまでに帰ってくれば、シャワーをして着物に着かえても余裕がある。ロディーガーデンまで、1時間ちょっとかかるから、9時過ぎに出れば食事をしてゆうゆう帰って来られるはずだ。ということで9時30分 ごろホテルを出た。一人での外出ということで、緊張していたらしくこんな写真になった。
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道順は順調だった。グーグルマップはありがたい。日曜日の学校通りなので人通りは少ないが、マンションが立ち並ぶ地区でもあるのでゆったりとした気分で歩けた。やがて地下鉄といっても地上2階駅が見えてきた。ここがDwarkaSector9。切符をどこで買おうかと迷っていると、いかにも怪しげな人に声をかけられた。それを振り払って、すぐに駅の改札口に向かい駅員さんに切符売り場を訪ねた。窓口で100ルピーのメトロカードを手に入れ再び改札口へ、空港のような男女に分かれたセキュリティチェックのゲートを通り2階のホームへ上った。

地下鉄は空いていたし、乗っている人たちも上品な感じだった。二駅目でオレンジラインに乗り換えた。これは空港を経てデリーに行く電車だ。行先表示がわかりやすくて迷うことはなかったので楽勝だと思っていたが、電車の行先表示がエアロシティとありニューデリーと書いてないので迷っていたら、ビジネスウーマン風の女性が、「何か問題でも」と聞いてくれた。ニューデリーの字が見えないのだがというとエアロシティの先だ」と教えるとさっと本を読み始めた。かっこいい。
ニューデリーについてイエローラインの乗り場を探していると様子が違ってきた。明らかに今までの電車と雰囲気が違う人たちがものすごい人数で改札口の前に並んでいた。わたしもバッグを前に抱えて列に並んでいると、「マダムはこっち」と言われた。女性のセキュリティーの列はとても短く「ラッキー!」と思ったが、ホームにも人があふれていて、最初の電車には乗れなかった。でも、よく見ると電車の中ほどは空いている。詰め合わせていないだけだ。そこで、2つ目の電車には決心して肩を押し込むようにして無理やり乗った。でも、この混雑は一区間だけで私が下りたJOR BAGHは空いていて降りた人は私だけ?

駅前にオートリキシャがいて、私の前も女性が乗っていったので、私も乗ってみることにした。ロディーガーデンのGateNO1と本に書いてあった通りに言ってみたが、今日はこのゲートは空いていなかった。反対側のgateNo5に着けてもらった。お金を払おうとすると、マーケットにも行くだろうから、ここで待っているという。
まあ、それも便利かなと、20分くらいで戻ると言って公園の中を歩いた。16世紀の墓、小さいタージマハールのようなもの、インドのいたるところにあるのだろう。ここはデートスポットだということで、ちょっと建物の裏手に回るとカップルの邪魔をしてしまうので、歩道だけをぐるりと一周して回った。池も綺麗で都会の中のほっとする場所、日比谷公園や新宿御苑みたいなところだ。
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20分くらいでgateNo5に戻るとオートリキシャのおじさんはちゃんと待っていた。マーケットに行ってほしいというと、連れて行ってくれたところは高架下の(実は高速道路の下)お店。実は新しいマーケット通りに行きたかったのだが、めんどうくさくなって中に入ってみた。日本語を話す人がすぐ近づいて来て「何がほしい」という。「パシュミナ?宝石?紅茶?・・・」わたしが、インドはもう3度目なので前にたくさん買ってしまったというと少し勧誘がゆるくなった。
ストールを2枚買った後ジャイプールの型染の布を見ていた時のこと1枚700ルピー5枚で3000ルピーだという。10枚買うとどうなるというと、7000ルピーのところを6000ルピーという。それじゃディスカウントになってないじゃないのというと笑いながら5000ルピーでおまけ一枚にしてくれた。でも、高い買い物だったかも。チャイをごちそうになったし、まあいいか。

買い物が済んでオートリキシャに乗ると。「次はどこ行く?ロータステンプルか?」などという。「いや、いや、駅だよ」というと「ニューデリー駅か」としゃあしゃあという。「JOR BAGH 。 午後は約束があるからもう帰るよ」というとJOR BAGHに停めてくれた。一応3回分の料金として300ルピーを払った。効率よく動けたからまあいいか。

帰りの電車もすぐに来たし、ニューデリーでは込み合ったが朝ほどではなかった。空港行きのオレンジラインに行くと人も少なく雰囲気も落ち着いているのでほっとした。しかし、オレンジラインを降りようとしてカードを改札口にタッチしても出られない。多分料金不足なので、チャージしようと思って近くの駅員さんにいうと、カードをチェックしに行った。帰ってくると「このカードは壊れていない、これでタッチして出ろ」と何やら布でくるまれたものを渡してくれた。確かにそれでタッチすると、ゲートが開いて出られた。それで、OKだという。不思議な気分のまま、次の地下鉄の改札口にふれるとやはり通れない。切符入り場で100ルピーチャージしてもらった。あの布包はなんだったのだろう。朝と逆に地下鉄を乗り継いでDwarkaSector9におりるとほっとした。これが女性専用車両の表示。インドでは女性に優しいと思ったら、痴漢などの被害を防ぐためとか。
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駅を降りるとファストフードショップがあったので、入ってみた。皆さん、外のテーブルで食事をしていたので、ウェイターさんにここで食事をしたいというと、そばの建物で注文しろという。中に入るとお菓子だけなのでおかしいと思って出てきて、あの人たちのようなものが食べたいとウェイターさんにまた行っているというと、門番のおじさんが何か問題でもと近寄ってきた。何のことはない中でお金を払ってレシートを持って注文するシステムだった。
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大きく膨らんだナン(プーリというのだと後でわかった)の定食を頼んでだら、ウェイターさんが代わりにお金を払って注文してきてくれた。その後でチャイも飲みたかったのでまた、ウェイターさんに頼んだ。消費税分くらいが足りなかった。後は持っているお金を細かくするしかない。1000ルピーを見せると困った顔をしている。
今度は、隣の席のカップルの女性が来て「何か困ったことでも」と聞いてきた。「お金が少し足りない、細かいお金がない。だからチャイの注文はキャンセルしてもいい」というと、「あなたはチャイが飲みたいのか、飲みたくないのか」と聞く。もちろん「飲みたい」というと、ボーイさんに何やら話している。結局両替してくれるというので1000ルピーを渡すとちゃんと100ルピー10枚が戻ってきた。
そこで、不足分を払おうとすると、隣の女性は「必要ない。そのままでいい。」という。ボーイさんも何も言わない。じゃ、あの両替は何だったんだろうと思いながらもブーリ定食とチャイをいただいて、女性とボーイさんにあいさつして店をでた。インドではあまり細かいことは言わないのだろうか。外国人でめんどくさいと思ったのだろうか。一度誰かに聞いてみたい。


ホテルについてシャワーを浴び、着物に着かえた。きちんと掃除してくれたということがわかるのはイアリングをベッドの隙間に落としてあきらめていたらきちんと拾ってサイドテーブルに載せてくれていたことだ。間もなくアシッシュさんから電話があって、「今友だちが迎えに行った」という。「また、バイクじゃないでしょうね」と確認すると、「もちろんです」と笑っていた。

間もなく「着いた」と電話があったので階下に降りていった。いつもニコニコ挨拶していたフロントの人がこっちを見て飛び上がって、それから飛び出して来て玄関のドアを開けてくれたので、こちらもびっくりした。着物効果はすごい。確かに日本の小さい街のビジネスホテルから、サリーを来た女性が出てきたらびっくりするよね。
お迎えは、初日に空港に迎えに来てくれるはずだったガイドさん、招待状も彼が持っていたのでやっと招待状を受け取れた。とても立派な招待状だ。車の中には彼の仕事仲間の日本語ガイドさんが2名乗っていた。アシッシュさんから、今日は一緒に行動するように頼まれたそうだ。心強い。
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今度の会場はホテル、もう一組のパーティもあるということで、入口から電飾で昼のように明るくて飾られていた。中に入るとまだ人は少ない。舞台付きの部屋とガーデンパーティの会場がある。ここで何百人というお客に自由に食べて飲んでもらうのだ。
会場を案内してくれた一人のガイドさんが「あれはカモです」というので行ってみると、カモ肉らしいものはない。よく聞くと「窯です」だった。ここで料理をして提供する。
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面白かったのはインドの花瓶と生け花?思わず写真に撮った。

食べ物は色々とあるし飲み物コーナーもある。しかし、ガイドさんたちは外に買い物に行く相談をしている。「私にも飲み物はビールがいいか」などと聞いてくる。実はこのパーティ会場はベジタリアンの料理でアルコールも禁止なのだそうだ。アシシュさんたちの一族はベジタリアンでアルコール禁止なのでパーティ会場にもアルコールがない。多分肉も。夫が一緒だったら帰ってしまうだろう。でも、ガイドさんたちは慣れたもので会場の外でお酒を飲んでからまた戻ってくるのだという。わたしもお付き合いして会場から出て、車の中で皆とビールを飲んで、また会場に戻った。

家族や親戚の人たちもやってきた。みなさん、着物を喜んでくれた。しばらく、昨夜顔なじみになった家族親族の集まっていたテーブルにすわった。大学生の男の子が飲み物やおつまみを持ってきてくれた。他の親戚の人を紹介してくれたり、写真をとったりなんだか忙しかった。
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そのうちに、室内会場の片隅に備え付けられているきらきら電気が光るダンススペースに案内されて、皆さんが思い思いに踊るのを見た。せっかくだから少し踊りましょうというお姉さんに引っ張られてスペースに入った。もちろん踊れないのでお姉さんが引っ張るままに体を動かしていたら、これはダメだと思ったのだろう。間もなく解放された。
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そのあと突然日本語で若い女性から話しかけられた、彼女もガイドで、私の傍にいるようにアシッシュさんから言われたのだそうだ。彼女がまた会場を案内してくれて、先ほどのガイド仲間のテーブルで彼らのおすすめのおつまみを食べた。どれもおいしいが不思議な味がした。このあと、本当の料理が出ると言われたが、もうすでにお腹はいっぱいだった。まもなく、親戚の小学生の男の子が「アシッシュさんが来るよ」と教えに来てくれたので、カメラをもって入口の方へ行った。やはり、踊りを先頭に昨日とは違った服を着た二人がゆっくり入ってきた。ときどき止まっては写真を撮ったり周りの人が交代で踊る。今日もドローンが大確約をしていた。彼らが室内の舞台へあがって行くまでついて行って撮影していた。

舞台の上で二人だけの撮影会が終わると今度は親戚や一般の人が二人と一緒に写真をとり始めた。お祝いを渡して写真を撮っているみたいだった。私も並んでいると呼ばれて一緒に写真を撮った。

撮影会が終わると今度はダンススペースに移ってみんなでダンスだ。自分は踊れないと言っていたアシッシュさんも頑張って結構上手に踊っていた。花嫁は何故踊らないのと聞くと衣装が重くて自由が利かないのだとか。彼女は踊りが上手だそうなので見たかったなー。
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ダンスの様子もビデオで撮影している。こういう人がお祝いに来てましたという記録なのかアシッシュさんに呼ばれて花嫁と三人で手をつないで踊りのまねごとをした。最後までいてくださいねと言われていたので、親族たちが帰った後も残って見ていた。ダンスが終わった後で日本語ガイドさんがホテルまで送りますというので引き上げた。帰ったのは12時近かっただろうか。



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